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茶凡遊山記

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<   2019年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

七社天神宮(旧池川町)【後編】

「安居渓谷」からいったん国道439号線に戻り、旧「池川町」中心街より国道494号線に分岐、日本最後の焼畑農業の地、「椿山(つばやま)」集落を目指す。

 旧「池川町岩丸」から「土居川」に沿って北上し、途中の「永代」からは「大野椿山川」に沿ってさらに遡上、「百ケ内」集落で本日のメインエベント「七社天神宮」に立ち寄った後、「大野」集落まで北上し「林道岩柄大野線」と「林道明戸岩大柄線」と山上を東進、「明戸岩」集落で国道494号線に復帰する。
  
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「七社天神宮」前の深遠な渕
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旧「池川町北浦」で国道494号線に分岐
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「北浦橋」を北に渡る
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「北浦橋」から「土居川」上流を見る
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国道494号線は愛媛県久万高原町へと続く
「伊予国」とのつながりが深そう
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彼方に見えるは「雨ケ森」殿
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水が綺麗だと人造物も美しい
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「雨ケ森」へは「安居渓谷」側から
登ることが多くなったが
「岩柄」登山口は「雨ケ森」への
伝統的な登山口の一つ
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「大西橋」まで遡って来た
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この8の字ルート
全線走破したいはヤマヤマなれど
天気も怪しければ残り時間も迫ってきた
いたしかたない
時計回りの周回コースとしよう
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「大西橋」には大きな水車がある
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ここを右折すれば
8の字ルートの中央突破だが
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あいにく今日は時間切れ
次の機会にということで
「永代橋」まで直行する
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右上からの「大野椿山川」と
左手前からの「土居川」が合流
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「永代橋」北詰を右折する
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「椿山」を目指す
「椿山」の字の下に「林道」と補足あり
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「永代橋」北詰を左折西進すると
愛媛県の久万高原町へ抜けられる
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「大野椿山川」の見事なグリーン
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「七社天神宮」への分岐を下る
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「七社天神宮」へ渡る橋から上流を見る
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 旧「池川町」には、約400年の歴史を持つ土佐最古の神楽が伝わっている。華麗なイメージの旧「吾川村」の「秋葉まつり」に対し、「池川神楽」には艶やかな妖しさがある。

 土佐神楽ではここにしかないという「児勤の舞」や、天照大神が舞う「天磐土開舞」、美しい衣に身を包んだ四天が刀を片手に舞う「四天の舞」など、全部で14幕もの神楽が独特の囃子にあわせて4時間あまりも続く、という。

「池川神楽」は「池川神社」社家である安部家を中心に伝承されてきたもので、文禄2(1593)年の『神代神楽記』に、土佐最古の神楽として記されているとのことだが、この「七社天神宮」でもかつて舞われたとのことである。

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 この「百ケ内」の地には、小生にとってとても大切な御一族がお住まいになっている。

 先輩の奥様のお里であるこの地には、これまで何度となくお伺いし、皆様にはとてもよくしていただいてきた。

 特に思い出深いのは、「釜炒り茶」作りのお手伝いと、庭先で執り行われる夜宴。

 いつの年であったか、先輩の奥様の母上様に勧められたドブロクがいささか濃すぎて盃をなかなか干されずにいると、「日本酒でうまえたら飲みやすうになりますぞよ」と、トクトクと一升瓶から清酒を注ぎ足していただいたことであった。

 先年旅立たれたご主人にお祀りして下さいと、心ばかりの和菓子をお持ちしたら、「これはこれはご念が入りました」と、それまで耳にしたことがなかった雅びな言葉を返していただいたのもまた、忘れられない思い出の一つとなっている。




土砂崩れ跡か道路拡幅の補強か?
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「大野小学校」跡地を過ぎたところで
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この橋へと右折し
「大野椿山川」を渡り
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「林道岩柄大野線」に進入
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「金刀比羅宮」をぐるりと回り
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徐々に高度を上げて行く
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忽然と作業道が現れて
その入口にはリヤカーがある
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あんな高い所に
ガードレール付きの作業道が・・

♪止めて下さるな妙心殿~
落ちぶれ果てても平手は武士じゃ
男の散り際は知って居りもうす~
行かねばならぬ
行かねばならぬのじゃ~♪
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いったい何があったんです?
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本日の2匹目に遭遇
行きもせず戻りもせず
「どうぞそこから動(いご)いて下さい」
さもなくば
「こちらが動けません」
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天敵と遭遇した直後だけに
大好きな切り通しも気もそぞろ
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一刻も早くこの場を去らねば
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8の字ルート真ん中の道への分岐
残念だが本日はここを左折し
時計周りの周回ルートへ乗る
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里道の峠にもなっている(画像右)
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「雨ケ森」への道案内板が
カーブミラーにひっそりと残る
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麓から登ってきた場合
「雨ケ森」登山口へは
この三差路を左上に進む
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「岩柄」集落を振り返ると
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集落北に「たりやまの滝」が見える
かなりの落差がある
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伐採が進んでいる
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竹の葉の絨毯を踏み進む
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なかなかに山々が奥深い
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あんな高い所でも伐採が
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作業員の皆さんは
このロープを登って行く
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こうしてみるとかなり勾配が早い
腕力(かいなぢから)以上に度胸が要る
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ここにもロープが設えられている
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「明戸岩」集落の上まで降りて来た
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「柱状節理」の一種であろうか
天然の岩の切り通しになっている
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国道494号線が
「土居川」に沿って
西の愛媛県久万高原町へと遡上
すぐ先の「境目隧道」を抜けると
そこは愛媛県久万高原町
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「秋光院」への参道には杖と
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ユリの花
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「奥ノ院」も残念ながら本日はパス
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国道494号線に戻る
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ここを直進すれば再び「百ケ内」
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「大野椿山川」に沿って
国道494号線を下って行く
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国道194号線に戻ると
相当に気合いの入ったバス停
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午前中にもらっていたスイカと黍と
途中で買った「釜炒り茶」を
コンビニフックに移動
スイカはここまで何とか無事
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 遅い梅雨明け直後の最初の晴れ間、これまで「百ケ内」を訪ねるたびに気になっていた道を走ることができた。

 同じ1日約7時間で約200kmといえども、未舗装林道とアスファルト林道とでは、疲れ具合に雲泥の差がある。

 今日は途中でスイカの差し入れをいただいたが、舗装路だといくら走ってもスイカは無事。

 海抜1000mを越える山上を時折織り交ぜてのアップダウン走行は、暑過ぎず冷え過ぎず、カブのエンジンにも、そして何よりも中高年の身体に優しい。


【ご参考】

 秀峰「雨ケ森」へは、伝統的な「岩柄」登山口からのルートではなく、【前編】で紹介した「安居渓谷」からのルートを登ると、比較的ラクに登頂できます。





 




by ky_kochi | 2019-07-27 12:00 | リトルカブ | Trackback | Comments(0)

七社天神宮(旧池川町)【前編】

 つい先頃まで「焼畑農業」が残っていた、旧「仁淀川町」(現「いの町」)の「椿山(つばやま)」集落の少し下流、「百ケ内(ももがうち)」集落に、「七社天神宮」という見事な神楽殿を擁する名刹がある。

 梅雨明けの晴れ間に、旧「吾北村小川新別(こがわしんべち)」から県道293号線に分岐、「川又」集落からは「高樽川」を遡上、「林道久保吉ケ成線」を経由し、紅葉の名所であり作家宮尾登美子先生の助教としての初赴任の地「安居」に降り立ち、「百ケ内」を目指してみた。

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旧吾北村「新別(しんべち)」で
国道439号線から分岐
「安居渓谷」に寄り道し
国道439号線で池川町中心街に戻り
今度は国道494号線を北上
「大野椿山川」を遡上して行く
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手前が四等三角点「西モリ山」で
一つ奥が三等三角点「若山」の
「宝来山」(1051.19m)か?

はるか北には
「筒上山」と「手箱山」を遠望できる
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今日は全線舗装路
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おなじみ「仁淀川」を
国道194号線に沿って遡上
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船底を上にして引き上げられている
「甲羅干し」とは理屈が違うように思うが
何という干し方であろうか?
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河口間近というのにこの碧さ
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「むささび温泉」手前で
国道439号線へと左折西進
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 途中にある知り合いの畑に立ち寄り、スイカとトウモロコシを分けていただいた。

「もっと持って行け」としきりに勧められたが、途中で割れるといけないのでと深謝して辞退すると、「割れたら途中で食べて行けばよい」とおっしゃる。

 次の日にいただいたところ、よく熟れていて皮も薄く、それはそれは美味しかった。しまった、もっと沢山貰ってくればよかった、また寄らせていただきます。


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「上八川(かみやかわ)川」がこの先で
「小川(こがわ)川」と合流する
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旧「池川町」との境にある
「大峠(おおとお)トンネル」まで
高速道路並みの酷道439号線
本日の通過ポイントの「樅ノ木」には
大杉や渓谷もあるらしい
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旧吾北村の「小川新別(こがわしんべち)」
ここを直進すると旧「池川町」
ここで国道から右折分岐
県道293号線を「川又」まで北上する
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「樅ノ木郵便局」手前で
県道293号線から左折分岐
「高樽川」に沿って西進登攀
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防災マップが住宅地図を兼用
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「清川星神社」を通過
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つい間違いやすいが
この「妙見橋」は直進する
橋の手前で右折してはいけない
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索道で山上から木材を搬出している
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小さいながらも
美しい翠色の渓谷が続く
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「高樽」集落を過ぎると
やがて南に展望が開ける
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おそらくこれは犬小屋ではなく
凍結防止剤かなにかの置き場

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かなり高度が高くなってきた
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「林道久保吉ケ成線」へ入り
さらに高度を上げて行く
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道なりに右下へ下るのが主要道だが
この林道起点の分岐を左上に進む
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ご機嫌な舗装林道となる
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林道右下に「神田屋敷」方面へと下る
主要道が見えている
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「宝来山」であろうか
名のある山に違いない
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人里近し竹藪が混ざり始めた

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いたるところに「俄か滝」が出現
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「林道久保吉ケ成線」の終点通過
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何を栽培していたのであろうか
モノレールの設置跡がある
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北に視界が開けてきた
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遠くに見えるているのは
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左が筒状の「筒上山」のドーム
右へは「手箱山」への稜線が続く
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お天気がやや持ち直してきた
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「安居土居」集落の連続Uカーブの始まり
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Uカーブは少なくとも16ケ所はある
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こちらは手作りの石積み
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こちらはブロックによる擁壁
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歯の詰め物が取れた時の脱力感を思い出す
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「安居国民小学校」跡地の対岸で
県道362号線に合流
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そうかここに降りて来るのか
右上から降りて来て
大きく切り返して「安居渓谷」へ
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作家の宮尾登美子さんが
生家の呪縛から逃れるために
助教となり初赴任した小学校跡地
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「安居渓谷」へ寄り道していこう
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「みかえりの滝」
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「宝来橋」を右に見て「東陸(とうろく)様」へ
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まだ行ったことは無いが
「東陸様」の傍らに
「面白の滝」への道案内がある
「おもしろの滝」かと思ったら
「つらじろの滝」らしい
ところでこの「面白の滝」
矢印の先に降り口が見当たらない
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ここ「安居」はかつて銅山で栄えた地
シュールな鉱山鉄道跡が残っている
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安産の神様「東陸(とうろく)様」
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 ここで撮ってもらった小生の全身写真が、首から上と上半身とがややズレていたことがあり、すわっ即刻お焚き上げか?と思ったことがある。

 写真はフィルムカメラの時代のもので、どこへ仕舞ったか忘れてしまったぐらいだが、当時は鳥居に横の桁が残っていて、ちょうど首から上と下の上下を分断していたので、おそらく目の錯覚かと思うが、あまり心地の良いものではなかった。

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「安居渓谷」は滝の宝庫
県道沿いの岩肌にも
いくつもの滝が懸かる
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泳ごうにも
あまりの水温の冷たさと
あまりの虻の多さに
水中に長居はできない
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「余能橋」と刻まれた吊橋は
昭和35年4月架設の同い年
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対岸に渡ると
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「よのおばし」とある
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「余能橋」から「安居渓谷」の上流を見る
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 ここまでアスファルト塗装の快適な林道を走って来られたが、「林道久保吉ケ成線」では大ヘビに肝を冷やした。

 少しばかり用を足したくなって、道路工事中の林道から一段下がった窪みに足を踏み入れた時、胴回りはさほど大きくないものの、とにもかくにも長いヘビが、1m50cmは優に超えるその体躯を、思い切り長く地べたに伸ばしている。

 たいていのヘビは人の気配を感じると逃げるようにその場を立ち去るのに、そのヘビは威風堂々辺りを払うといった印象で、じっと身じろぎもせず、あまつさえいつ何時こちらに向かって飛びかかりかねないような無気味さを漂わせている。

 先ほどまで抜き差しならぬ待ったなしの状態だったのに、出るものもすっかり引っ込み、ここはもう触らぬ神に祟りなし、三十六計逃げるが勝ち、すぐさまカブに飛び乗った次第。

 造化の神のなさること、きっと何か理由があっての作品なのだろうけれど、何ゆえにこの姿の生き物をこの世にお造り給うたのか、世界七不思議の一つであることは間違いない。

七社天神宮(旧池川町)【後編】に続く

by ky_kochi | 2019-07-27 10:00 | リトルカブ | Trackback | Comments(0)

佐田岬半島(愛媛県伊方町)

 日本一細長い半島である愛媛県西部「佐田岬半島」の「三崎港」に、熊本市在住の友人とお互いのホンダカブで集合、四国最西端の岬「佐田岬」のさらに先、四国最西端の島「御籠島」を訪ねて来た。

 一度行っておきたかった四国最西端の地は前日から続く大雨、晴れた日には九州まで見渡せるという絶景を見ることができなかったが、太平洋戦争の遺構が数多く残されていて、思い出深いツーリングになった。

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 友人は熊本市から阿蘇を越えて、大分県「佐賀関港」から「九四フェリー」で「三崎港」へ上陸。

 当方は高知市から国道197号線を西へ「三崎港」へ陸走、それぞれ約200㎞近い道のり。

 平成17年に廃止された「大阪高知特急フェリー」のCM『高知と大阪を、毎夜9時20分にせえのおで出発』をもじれば、『熊本と高知を夜明けとともにせえのおで出発』、大雨の水冷方式のエアコンで約7時間、とても還暦前の中高年の所業とは思えない。

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途中に8つある道の駅がラップを刻む

国道197号線は
高知市から大分県佐賀関までなので
「豊予海峡」の間は海上国道となり
「九四フェリー」が運航されている

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ちょうどの間隔で道の駅がある
カブにナビを付けていないので
アナログなメモ書きを携行

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「高知城」前の国道起点には
2桁国道との併用区間があるためか
国道197号線の刻印はない
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 途中のガソリンスタンドでふと足元を見ると、巣から落ちたツバメのヒナ。

 以前、人間がヒナを巣に戻すと、ヒナに付いた人間の匂いを親鳥が警戒し子育てを放棄すると聞いたことがあり、スタンドのかたに事態を伝えたところ、これはもういたしかたない、とのこと。

 誤って巣から落ちたものかと聞いてみたら、時々親鳥が巣から落とすこともある、という。親の言う事を聞かなかったのか、この子は育たないと見限ったのか、なるほどそういうこともあるのかとしんみりとした気分になった。

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途中の大洲までは
坂本龍馬の脱藩の道と並走
龍馬は「肱川川」河口の「長浜港」へ
我々は「佐田岬半島」の「三崎港」へ
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おなじみの困り顔の標識も
今日はなかば呆れ顔に見える
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高知ではこのレトロな人形は見かけなくなった
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土佐に和紙の製法を伝えてくれた新之丞は
土佐を離れ郷里に帰国する日に惨殺された
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国道197号線はかつて
「行くな酷道」と呼ばれたが
現在は信号も少なく高速道路並み
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文字が薄れ詠み人知らずになっている
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「ゆすかわ」は「遊子川」と書く
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実にそそられる地名
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「鹿野川ダム湖」は「鴛鴦」の飛来地
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「鹿野川ダム」下流地域一帯は
2018年7月西日本豪雨災害に見舞われた
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「八大龍王神社」の大鳥居
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バス停はその名も「臨時停留所」
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二輪車やハイカーにはありがたい
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単価につられて入ったが・・
カード方式でおつりが出ない
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なんとトンネル名は「昼夜トンネル」
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大雨の中を快調に爆走西進
「佐田岬半島」の付け根部分
道の駅「伊方きらら館」を通過
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国道197号線の最後の道の駅
「瀬戸町農業公園」を通過
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あいにくの雨で絶景は見られないが
「三崎港」はもう近い
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「三崎港」で先着の友人と合流
そのまま「佐田岬灯台」へ直行
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 歩行速度が正しくセットされていないことと、雨の中を急いで歩いたために各地点の取材が抜かってしまい、おおまかな歩行ログしか採集できていないが、、

 地図の右、緑色の線から遊歩道に入り、いつたん北上して南下、弾薬庫?跡があるキャンプ場を右に、砂利浜を左に見た後、緑色の線が二手に分かれるあたりが「椿山展望台」。

 再び合流する先に「佐田岬灯台」、四角形の「畜養池」の先が「御籠島」となっている、はずである。

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キャンプ場を通過
白い建物は弾薬庫の跡であろうか
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磯の香りが漂う
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四国最西端の灯台と島まで
遊歩道が整備されている
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明るさが足らずピンボケばかりで
掲載できないのが残念だが
「移動式探照灯」の格納庫跡が
いくつも残っていた
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まずは「椿山展望台」から
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「佐田岬灯台」を見下ろす
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「佐田岬灯台」前に川のような潮流
地理院地図には
「豊予海峡」の隣に
「速吸瀬戸」と併記されている
むべなるかな
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やっと来られた念願の四国最西端
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いざ灯台へ
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渋過ぎる旧字体の「右書き」
「臺燈岬田佐」
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 この地図では上が西で、対岸の大分県を向いて描かれている。

 2世紀頃に活躍したギリシャ人地図製作者、プトレマイオスが地図の上を北に定めたらしいが、カーナビと同様、やはり地図は自分が向いている方向で表現してもらったほうがありがたい。

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「佐田岬灯台」が四国最西端とばかり思っていたが、灯台のさらに西には四国最西端の島があり、「佐田岬灯台」から「御籠島」へと続く断崖には太平洋戦争の砲台跡が2つ残っている。

「佐田岬灯台」のもう一つ西にあるこの島は、四国最西端の島である「御籠島(みかごじま)」で、地理院地図には「大島」と表記され、地元では「オシマ(大島・御島)」と呼ばれているとのこと。この「御籠島」の断崖にもまた、砲台跡が2つ残っている。
 
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四国最西端の島「御籠島」
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「砲台」跡にズームイン
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灯台壁の水道には蛇口がなく
かわりにオーバーフローした水が
小さな噴水のように吹き出ている
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灯台を降りた先で直角に左折し
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ゆるやかな下り坂を降りて行く
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ん、あの横穴は?
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大きな生け簀のような場所に出る
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 ここは、平成22年以降は使用されていないが、昭和42年に作られた畜養池(かん水畜養施設)の跡。

 自然の海水が流入する造りになっているので、漁師が獲ってきたイセエビ・アワビ・サザエを畜養し、安定的な義業運営に大きく寄与したという。
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上手に剥がせば石焼の器に使えそうな地層
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牛タンの塩焼きを一丁!
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いかんっ、また雨が・・
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東の対岸に「佐田岬灯台」
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返す返すも天気が残念
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「御籠島」の断崖にも
太平洋戦争の「砲台」跡が2つ
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海難事故の慰霊塔が建つ
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灯台から見えていた遺構は
「洞窟式砲台跡」への入口
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 「三八式十二糎榴弾砲(さんはちしきじゅうにせんちりゅうだんほう)」は、元々は日露戦争時に日本陸軍がドイツのクルップ社に発注したもので、この「豊予要塞」には、昭和20年に「御籠島」と「佐田岬灯台」の断崖に2門ずつ計4門が配備されたものの、ほとんど使われることなく終わったようである。

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この水門から海水が流入するもよう
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落石注意
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イノシシ注意
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スリップ注意
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友人の青カブと小生のリトルカブ
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ホンダのエンブレムは
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車種と年式により微妙に異なる
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これはどうしても
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晴れた日にもう一度来なければ
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「三崎港」の老舗旅館に一泊
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 宿に着くと大女将さんと若女将さんであろうか、お二人に暖かく迎え入れられ、一風呂浴びたあとは美味しい魚介料理を堪能、翌朝も美味しい朝食をいただき、友人をフェリー乗り場で見送ってから再び高知への帰路につく。

 佐田岬半島の稜線を縫う国道197号線は翌日も大雨、さらに瀬戸内海に特有の濃霧で視界がすこぶる悪い。

 そんなコンディションもなんのその、水冷方式の天然クーラーのおかげで涼しく走っていたところ、最初のトンネルでライトの電球切れに気付いた。

 幸いなことに、ヘッドランプより切れやすいといわれるカブのテールランプは健在。元々があまり明るくないヘッドランプ、濃霧の中はまあよしとして、トンネル内ではいささか見づらい。

 それでも、トンネルも濃霧もゆっくり走ればなんとかなるが、他車に我が存在を知らせながら走らないと危険と思い、後続車に向けてはテールランプで、対向車に向けてはウインカーを点滅、次の八幡浜市で修理してもらうまでの間、パンダの配色のツートン車に会いませんようにとただただ願うばかり。

 途中のガソリンスタンドで教えてもらった2つの店は日曜休業、かくなる上はホームセンターで電球を買って自分で修理をと市内をうろうろするもなかなか見当たらぬ。

 通りかかった「八幡浜フェリー」の乗り場の誘導員の男性に教えて貰った店も日曜休業、もはや八幡浜市内ではここまで、次の大洲市へと思い信号待ちをしていたら、なんとHondaの赤い色のロゴを発見。現在は営業していないかもしれない佇まいの店内で、取込中だったご主人に懇願すると、快く修理してくれて事なきを得た。

 長年憧れ続けた四国最西端の地で大切な友人と待ち合わせ、思いがけず太平洋戦争の遺構も見られ、老舗旅館ではとても良くしていただき、さらに帰路には地元の皆さんの御親切にも出会えた。

 あいにくの雨など取るに足らぬ些少事、晴れた日にもう一度行けば良い・・、

 が、雨中の片道約200㎞、約7時間にはさすがに鍛われた。還暦前の運動不足の体には、カブでの再挑戦はちょっときつい、次回は車で行くことにしよう。


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「佐田岬灯台」が四国最西端の「地」かと思っていたら、まだその西に四国最西端の「島」があった、まことに百聞は一見に如かず、である。

 
















by ky_kochi | 2019-07-13 15:00 | リトルカブ | Trackback | Comments(0)