1番から88番までのすべてを回るには2日かかるとのことで、2日目は「津賀才」(「西津賀才」と「東津賀才」)エリアにある、第69番札所「観音寺」から第88番札所「大窪寺」までを案内していただいた。
第69番札所は、現在は無人集落となった「後生楽」にあるが、そこには「吾北森林鉄道」の廃線軌道跡が残っていて、第69番札所の少し先には、何年か前にネットで見た、旧「本川村」へと抜けるトンネルの跡が残っているという。
廃線軌道跡に取り付けば何とかなるはず、巨大な岩肌の絶壁に刳り抜かれたトンネル跡へ出直してみたいのだが、「後生楽」の集落跡は現在は相当に荒れていて、遊山は単独行動がほとんどだが、ちょっと一人で行く気にはなれない。
何年か前に、「いの町森林鉄道跡探検ツアー」と題されたツアーをネットで見たことあった、次の機会があったら是非応募してみたい。
後日になって、「いの町森林鉄道跡」を探検されたかたのYAMAPの活動記録を見たら、「巨大な岩肌の絶壁に刳り抜かれたトンネル」は、「後生楽」の山上ではなく、「川又」から約1.5kmほど「高樽川」を下った、「岩川内」のさらに山上にある、「欅山」集落の付近にあることがわかった。
長年の念願だった「剣ケ岳」(土佐町黒丸)に、3度目の挑戦でようやく登頂できたのも、このかたのYAMAPの活動記録で予習できたからこその快挙だった、実に合わす手のあるありがたさだった。

「小川樅ノ木山」エリア( 1日目 )
「小川東津賀才」エリア( 2日目 )

(一部は「西津賀才」または「小川樅ノ木山」)
1日目の「小川樅ノ木山」と同じように、ほとんどの札所は車で廻れたが、第69番札所「観音寺」~第71番札所「本山寺」への区間と、第78番札所「郷照寺」への区間は、往還道を往復歩いて登り降りした。
ログ採集のスタートとゴールは便宜上の位置で、実際には「川又」の88番の前から車でスタートして、反時計回りに72番の前まで移動し、69番まで歩いている。
69番~71番を打ち終えて、「藪漕ぎ」ならぬ藪を泳いで72番まで歩いて戻り、車道を引き返す途中にある73番~77番を打って、今度は時計回りに78番への徒歩区間の分岐まで一気に車で戻り、山上の78番へ往復して来たら、79番以は車道を南下しながら88番まで打って行く。
【津賀才エリア】概略札番
88番があるのが「川又」で、78番があるのが「境谷」、69番があるのが「後生楽」で、今日のログには78番と69番の間が空白になっているが、かつてこの区間には、現在も地形図に残っている往還があって、「川又」~「境谷」~「後生楽」、さらにその先の「花ノ木」へと、人馬が盛んに往来したという。

ただ、「後生楽」が無人集落となってから、この区間は現在は歩けないほど荒れているだろうとのことで、88番の前から72番の前まで車で移動し、山上の「幽霊佐古」(「幽霊が窪」とも)から「後生楽」へ歩いて降りたのだが、途中までは良かったが、「後生楽」の無人集落に近付くにつれて、藪を漕ぐというよりは藪を泳ぐに近い大藪になっていた。
★ 地元のかたの案内なしに「後生楽」の無人集落に立ち入るのは危険です。 この日、地元に長く暮らす3人の先達の皆さんでさえ、「幽霊が窪」の72番の前から「後生楽」へ降りる時、正反対の林道へ分け入られた。
「こりゃあ一時間から余分に歩いたねえ」と言いながらも、「山に入ったら方向がわからんなる時があるねえ」、「あの松の木は正月飾りに良(え)いねえ」、「あこにもここにもワラビがある」、「けんどこれも良(え)い思い出よ」と、皆さんとてもポジティブで、誰一人として、「ダレた」「しんどい」「もう帰ろう」などとは言わない。
こういう皆さんと歩くと山は楽しいのだが、そうでない人と山を歩くのが苦手で、いつもたいていソロ山歩きになる。
「樅ノ木ミニ八十八ケ所」の周辺広域図
「川又」から反時計回りに
「小式ケ台」を回り込むように
「高岩」「思地」
「分水第二発電所」
「成川」を経て「後生楽」へ
「後生楽」への分岐には
第72番曼荼羅寺があり
車道の対面は窪地の墓地で
「幽霊佐古」とも
「幽霊が窪」とも呼ばれている
ここで先達さんが道を間違えて、北西の「後生楽」とは反対方向の林道に入り込み、南西へしばらく歩くことになるのだが、あまりに雰囲気の良い林道だったため、美しい枝振りの松の木、俎板に使えそうなほど平べったい石、来春の山菜採りの候補地の物色をしながら、この地に伝わる「南北朝時代」の"南朝軍総帥"「新田義貞」の話をしながら半時間ほど歩き続けた。
先達たちは左上の林道へ
右下は「花ノ木」への車道

固く締まった路面
カブで走りたいが
関係者以外は通行禁止

俎板の右下に
包丁にボッチリの灰色の石

こんな平らな岩がいっぱいある

山イチゴもある

空模様がイマイチで
不安になって振り返ると

1日目に立ち寄った
「奥大野」と思しき集落が見える
背後の尖った山は「剣光山」では?

林道は次第に寂しくなり
空はと言えば
♪今にも空が泣き出しそうな~♪
もはやこれまで
先達に引き返しを進言した

小一時間かけて、「幽霊が窪」にある第72番まで戻って来た。
画像の正面左に見えている、車道から分岐している細い道が、「後生楽」へ降りて行く道だった。
なお、「幽霊が窪」はこの画像の左下にある広い窪地で、実に掃除の手が行き届いた墓地となっているのだが、撮影する勇気はなかった。
伝承によると、「幽霊が窪」には、「新田義貞」の弟「脇屋義助」の子、「脇屋義治」の亡霊が出たそうである。
左下の車道を
「後生楽」へと降りて行く
先達によると
途中のどこか右上に
「新田神社」があったという

1日目に廻った
「妙見」集落の方向だろうか

九十九折りの車道を降りて行く
左から伸びている黒い色の枝は
高級楊枝の材料「クロモジ」の木

耐震対策は万全

画像上部のカズラを見て
3人の先達が異口同音に
「ターザンロープで遊んだねえ」

いたる所で見る石積み

猪の檻が仕掛けられている

索道の機械が残っている

檻の奥の餌はそのままの状態

画像中央に
二つ並ぶピークの
左側が「剣光山」で
左に見える切れ込みが
旧「本川村」へ越える
「奥大野越」(標高約900m)

この角度で「剣光山」を見ようとは
無人となった「後生楽」集落
今年は柿の生り年(なりどし)

民家の回りは大藪

この辺りはまだ
普通の「藪漕ぎ」だが
民家の跡に近付くにつれて
「ヤブとバラ」の海に変貌する

この先に
「吾北森林鉄道」廃線跡があるはず
道なき道を
藪漕ぎをしながら
ようやく軌道跡を発見
なぜかボーリングのピンが
建物も土に還ろうとしている

森林鉄道の軌道跡らしい風景

右側の
地球の皺に見とれていたら

1時の方角に見事な切り通し

あの切り通しの上に
第69番、70番、71番がある

「魚梁瀬森林鉄道」跡の保存会のかたから、このような切り通しを「カッチン」と呼ぶと教えてもらった。
一説には、「切る」の英語の「Cut」(カット)の現在進行形、「Cuttinng」(カッティング)が轉じて「カッチン」とも。
また一説には、石斧で巨大な岩を穿つ時の、「カッチン、カッチン」という音が語源とも謂われているそうだ。
【第69番 観音寺】(香川県観音寺市)
【第70番 本山寺】(香川県三豊市)
【第71番 弥谷寺】(香川県三豊市)
いくつか倒れていた
お地蔵様を元の位置に戻し
森林鉄道軌道跡を歩いて帰る
「幽霊が窪」へ戻って来た
今朝は
前方左上に迷いこんでいた
右へ道なりに進むと「花ノ木」
腹が減っては戦にはならぬ
眺望が良い「花ノ木」へ!
「剣光山」を遠望しながら
ランチタイムとしよう!

「女心と秋の空」
山の天気は変わりやすい
せかっくの眺望がサッパワヤ

「剣光山」(左)のピークと
「奥大野越」の鞍部切れ込み(右)
【第72番 曼荼羅寺】(香川県善通寺市)
【第73番 出釈迦寺】(香川県善通寺市)
「後生楽」と「花ノ木」の分岐、「幽霊が窪」にある第72番と73番を後にして、車で登って来た「林道成川線」を降りて行く。
次は、第74番甲山寺なのだが・・・
【第74番 甲山寺】(香川県善通寺市)
先達からいただいたオリジナル絵地図には、「大きなカーブ左手」とある第74番甲山寺を、今回見つけることができず、宿題となった。
「大きなカーブ左手」だと、A、B、C、Dあたりだったかもしれない、「成川」集落の「鎌足神社」下の小さなお堂のそばにある第75番、76番、77番が並び立つ一画だったかもしれない、さらにはそこから一段降りた場所(車道の「巣ノ森橋」上流の谷川に架かるコンクリート橋からも行ける)にあった碑石だったかもしれない。
「成川」集落で 一際目を引く大小のお堂
奥の小さいお堂の先に
第75番、76番、77番がある

【第75番 善通寺】(香川県善通寺市)
【第76番 金倉寺】(香川県善通寺市)
【第77番 道隆寺】(香川県多度津町)

第74番はこの中に?

離れた場所にあるが
もしや第74番では?

「林道成川線」の「巣ノ森橋」で合流している谷川には、意味深なコンクリート橋が架かっていて、このポツンと離れた場所に立つ石碑の前を登って行くと、第75番、76番、77番や、「鎌足神社」や、大小のお堂に通じている。
大小のお堂の一段上には
「鎌足神社」が建っている

「巣ノ森橋」で合流する谷川に
「鎌足神社」や
大小のお堂へ通じる
小橋が架かっている

住宅地図で「巣ノ森橋」と見たが
この辺りの地名は「須ノ森」のはず

「第74番曼荼羅寺」と
「巣ノ森」と「須ノ森」
再訪調査の楽しみが増えた

「後生楽」では「吾北森林鉄道」廃線跡が歩き遍路道、曇天の「花ノ木」では昼食、「成川」では第74番を宿題として、車で「川又」に戻って来た。
「川又」から「境谷」に北上して、最後の歩き遍路道を歩いて登り、山上の第78番郷照寺を打ち終えたら、あとは第79番から、”結願の札所"第88番大久保寺まで、車でセスナ機よろしく滑空してくるのみ。

「東谷公民館」(「東谷小学校跡」)

記念碑が残っている
「二宮尊徳」の少年像は
昔からなかったそうである

民家の手前から往還へ分岐

ベリー・グッド!

たしかこの辺り
陽当たりの良い岩場で
今年最後の蛇を見かけた
蜷局を巻いた小さな黒蛇は
我々の気配を感じるやいなや
サッと素早く輪っかを解いて
左の藪の中に駆け上がって行った


♪嵐山にて雪も恋しや
南天の実のような
赤い紅をさすわ~♪

国調が入ったもよう

往還の名残りを今に残している

木橋を渡る

気になる石積み

たしか「アオギ」と聞いた

俎板のような岩が多い

お洒落なガードレール

前方左手の尾根道の先に

「金毘羅様」が鎮座

お地蔵さまが倒れていて
ここに78番があると気付かず

少し登った所にある
この鳥居に魅かれて進む
本線はさらに右上へ続いている

「星神社」とある
いたる所で見かけるが
「星神社」のルーツも要調査!

よく踏まれている

「星神社」に到着

仲良き事は美しき哉

どことなく
お一人様は淋しそう

鳥居まで戻ると
先達たちの声がする

「金毘羅様」への尾根の先から
「78番さんありましたよ~」の声

画像左後ろの杉の木の右側に
元の位置に戻されたお地蔵さま
御地蔵さまは倒れていたそうだ

【第78番 郷照寺】(香川県宇多津町)

手前の円形が「日燈」
奥の「三日月」が月燈


第78番への最後の歩き遍路を終えて、一同どこか晴れ晴れとしたこんころもちで、足取りもひとりでに軽くなる。
第79番は、車を駐車して来た「東谷公民館」までの途中の車道にある、先を急ごう。

【第79番 天皇寺】(香川県坂出市)
【第80番 国分寺】(香川県高松市)
【第81番 白峯寺】(香川県坂出市)
【第82番 根香寺】(香川県高松市)
【第83番 一宮寺】(香川県高松市)
【第84番 屋島寺】(香川県高松市)

降りて来た車道を振り返る

のべ2日にわたった「樅ノ木ミニ八十八ケ所」巡りも、いよいよ残り4つの札所を残すのみとなった。
1日目は快晴の「小春日和」、秋の好日を満喫できたが、2日目の今日は♪今にも空が泣き出しそうな♪空模様。
カッパを勤務先に置き忘れて来て、道中ずっと心配していたが、最後まで雨が降らないどころか、要所要所でお天道様が微笑んでくれた。
先達さんたちは出発前に、ベタ曇りの空にポツポツとしかない小さな円形の青空を見上げながら、「今日は青空が見えちゅうき大丈夫」、「降るかもしれんけんどよう降りゃあせんろう」と、全く気にする様子はなかったが、実際に小雨さえ降らなかった。
【第85番 八栗寺】(香川県高松市)
【第86番 志度寺】(香川県さぬき市)
参拝の途中、畑仕事をする御婦人としばし歓談し、いよいよ"結願の札所"「第88番大窪寺」へ。
第87番長尾寺と第88番大窪寺は、「川又」の「小谷橋」のたもと、「樅ノ木簡易郵便局」の対面にある。
【第87番 長尾寺】(香川県さぬき市)
【第88番 大窪寺】(香川県さぬき市)

「樅ノ木橋」か「川又橋」、あるいは「出会橋」か「出合橋」かと思っていたが、正しくは「小谷橋」だった。
これまで何度となく渡っているのに、橋名板を見るまで知らなかった、観察する、科学する、といった才能がからきしない。
少子高齢化が進む中、「樅ノ木ミニ八十八ケ所」は長い間、地元の人さえ歩くことがなくなり、多くの札所は藪に埋もれ、かつてあった集落が無人となるにつれて、ひっそりと歴史のかなたに消え去ろうとしていたという。
先達のみなさんをはじめ、地元有志の皆さんが、少しでもまだ人々の記憶に残っているうちにと一念発起、ついにすべての札所の場所を突きとめられた、その地道な活動に心から敬意を表したい。
【番外編】
今回の「樅ノ木ミニ八十八ケ所」で圧巻だったのが、先達さんの御先祖が建立されたという、この断崖絶壁に立つお地蔵さまだった。
高知県内では、「小川ミニ八十八ケ所」(旧「吾北村」)、「五台山ミニ八十八ケ所」(高知市)、「種間寺ミニ八十八ケ所」(旧「春野町」)、「清滝山ミニ八十八ケ所」(土佐市)、「川ノ内ミニ八十八ケ所」(佐川町)、「水ノ峠ミニ八十ケ所」(旧「池川町」)を歩いてきたので、今回ご案内いただいた「樅ノ木ミニ八十八ケ所」が7番目の「ミニ八十八ケ所」となった。
どの「ミニ八十八所」でも、「おふま」と呼ばれるお供え物をしたことはなかったが、今回「樅ノ木ミニ八十八ケ所」で初めて「おふま」の真似事をした。
先達さんの御先祖が建立されたこのお地蔵さまに、お供えする「おふま」がかろうじて残っていて良かった。
初めてで慣れない仕事の上に、教育の現場は聞きしにまさる忙しさ、生来の要領の悪さと無駄な動きとが相俟って、ベテランの先生たちのようには立ち回れなかった。
これまでのように、休日を待ちかねてリトルカブに飛び乗るわけにはいかず、職場の行事以外での、遊山らしき遊山は4回にとどまった。
ブログを更新できずにいたら、ブログ運営会社からさまざまな機能制約が課せられたり、ありがたいことにブログへの拙文のアップで、小生の生存確認をしていただいているかたから、「生きちゅうか?」とお問合せをいただくこともあった。
ご心配して下さった皆様、ありがとうございました、来年はもう少し要領よく動いて、遊山の機会を増やそうと思います。
皆様、どうぞ良い新年をお迎え下さい。
【過去記事】ミニ八十八ケ所