旧「大正町」、現在の「四万十町大正」にある、「無手無冠」四代目女将、山本紀子さんが、先月11月29日に急逝された。
昭和57年に高知市朝倉、土佐道路からほんの少し南に入った場所だったと思う、"土佐の地酒専門店"「地酒屋」を出店された頃、当時たしか県下に24の蔵元があったと思うが、すべての蔵元の代表銘柄の一合瓶やワンカップを、木箱に詰め合わせた「酒の皿鉢」というアイデア商品があった。
高知市から
「大正」に帰った
現在の「地酒屋」

昭和59年に転職した事業所は、各県に一つずつあった事業所に加えて、全国を広域的に取り扱う事業所とがあったが、なかんずく隣県の先輩職員のかたには、公私にわたりひとかたならぬお世話になった。
いつか「酒の皿鉢」をお届けしたいと思っていて、平成になってからだった思うが、「地酒屋」を訪ねたことだった。
その日「地酒屋」に四代目女将は御不在だったが、それまでの「四万十川酒造株式会社」から社名を「無手無冠株式会社」に変更し、代表銘柄「千代登」の「千代登酒造合名会社」を吸収合併した、当時の代表取締役で御主人の山本彰宏さんが店におられた。
四代目女将のことを語る時の、山本彰宏さんの暖かい眼差しを今でもよく覚えている。

「地酒屋」はその後、御夫婦とともに旧「大正町」に帰られたが、その時すでに四代目女将は抜群の知名度で、斬新なアイデアと大胆な行動力で大活躍をされていた。
二度ほど「大正」のお店でお目にかかったが、豪放磊落なかたと想像していたが、素朴な物腰や語りからは、気配りや繊細さが自然に伝わって来るかただった。

「四万十の鮎に大正の椎茸 酒は千代登 やっぱり地酒は良(え)いのお」
のテレビCMを、懐かしく思い出す御同輩も多いことと思う。
栗焼酎「ダバダ日振」

「高知銀行大正支店」跡は
「四万十川焼酎銀行」に!

県下すべての蔵元の
栗焼酎「ダバダ日振」


世界的なフィギュア製作メーカー「海洋堂」創始者である宮脇修氏と、四代目女将山本紀子さんの御一族との間には、深い御縁があったことを、今回初めて知った。

平成4年に貯蔵が開始された
栗焼酎長期貯蔵オーナー制度

預けた焼酎を引き取る際には、たしか通帳と一緒に引出伝票を窓口に提出すると聞いたように思う。
さすればピンク色の帳面は、おそらく預「金」通帳ならぬ、預「焼酎」通帳と思われ、元銀行の支店をそのまま利用しているので、焼酎の預け入れと引き出しをするための窓口カウンターは懐かしい造作の銀行窓口のままで、焼酎を保管している店の奥の金庫室もまた、どこか懐かしい風情が漂っていた。

懐かしいデザイン

「大正打井川」地区にある「海洋堂ホビー館四万十」の近くには「海洋堂かっぱ館」があり、さらにその奥にある「馬之助神社」は、"子どもの神様"として広く全国からの信仰を集めている。
この「馬之助神社」の基となる祠を建てたのが、「海洋堂」創始者の宮脇修氏の父である宮脇敬冶氏で、「馬之介神社」のある山は、四代目女将山本紀子さんの持ち山だったそうである。
四代目女将が抱えているのが
「酒の皿鉢」
先月11月22日、旧「窪川町」に帰省した時、久し振りに車で20分ほど西にある旧「大正町」に「無手無冠」を訪ね、「地酒屋」で貰ってきた『RIVER32』(道の駅「四万十とおわ」内 株式会社四万十ドラマ / 編)と、『愛LOVE土佐酒 豊かな人生を地酒に託して』(土佐の地酒専門店「地酒屋」おかみ山本紀子 / 編)を読み返していた矢先の訃報だった。
四代目女将は我々が「地酒屋」を訪ねた日の僅か5日後に急逝されていたのだが、翌朝「地酒屋」を訪ねた時、一人で帳場に座っていた5代目と思われる男性が、いつもと変わらぬ応対で店内に迎え入れてくれ、「四万十川焼酎銀行」で「女将さんはお元気ですか?」とお聞きすると、「はい、元気にしています」とのことだっただけに、まさに青天の霹靂だった。
謹んでご冥福をお祈りしたい。