「人の行く裏に道あり花の山」は、茶聖「千利休」の句という説が有力で、「人の行く裏に道あり花の山 いずれの道も散らぬ間に行け」の上の句だけが独り歩きしたものらしく、株式投資の格言として良く知られている。
山登りをする時には、この「人の行く裏に道あり花の山」を旨としていて、できるだけ最新の登山道は歩かず、かつて王道と呼ばれた旧登山道を歩くよう心掛けているが、高知城もまたしかり、城山である「大高坂山」北麓、「辷山」(すべりやま)のエリアには意外なスポットが隠れている。
これは南麓だが、「御台所屋敷跡」付近にはかつて高知市立動物園があって、ゾウの「南海子」やキリンがいた時期もあった。
市民を楽しませ、この地で旅立った動物たちは、高知城天守閣から北東に見える高知市「北山」の峰の一つ、鉄塔が立つ「西ノ峰山」で静かに眠っている。



「太鼓丸」マップ⑯
(どこかにかつて鐘撞堂が)





(左上が三の丸でその下が杉の段)



(野面積みの石垣)

「梅の段」マップ㉑



(黒鉄門)

(高知市立動物園跡地)

(左から「西多聞」「黒鉄門」「納戸蔵」)

「詰門(西側)」マップ⑪
全国で無二の詰門
現在、詰門と呼ばれているのは、本丸と二ノ丸の間にある空堀に建てられた櫓門のことです。江戸時代には「橋廊下」とも呼ばれていました。 この建物は、全国の城郭建築の中でも特殊な櫓門として知られています。本丸と二ノ丸の間には空堀があり、その高低差は約4mありますが、この建物は、空堀の仕切りとして城門を設置し、 その櫓部分(2階部分)を廊下橋(渡り廊下)としている特殊な建物で、現存例は全国でも高知城のこの詰門のみです。
引用元:「高知県立高知城歴史博物館 企画展 高知公園150年 高知城 未来へ伝えたい地域の宝」
「天守」「西多聞」「黒鉄門」)

「梅の段~二の丸北麓」

(右:二の丸へ 左:三の丸へ)

(孫生え=ひこばえ)


出典:「ミツモアMedia」【図解】庭木の剪定方法の基本!初心者でも自分でできる切り方のコツ

(孫生え=ひこばえ)








(三の丸の西端)


(辷山への石段)

このエリアで2007年に見た紅葉と黄葉に圧倒されてからというもの、秋になるとなかば使命感に燃えて各地の紅葉の名所を訪ねていたのが、まるで憑き物が落ちたように関心がなくなったように思う。
高いガソリンを焚いてわざわざ遠出しなくても、自転車のカゴに愛犬チーズ嬢を乗せて高知城に散歩に行けば、落ち葉の絨毯の上を歩けることに気づいたからである。
「三の丸」マップ⑦
(辻山北麓の含化石石灰岩塊」の石碑)

高知城がある「大高坂山」では、4億数千年前の地質ロマンと巡り会うことができる。
「高知城レンズ状部」の命名者で高知大学地質学教室で活躍された、故甲藤次郎教授の共同論文『高知城の地質』に、「高知城レンズ状部」が図説されていた。
高校生の頃、「高知城へデートに行ったカップルは必ず別れる」という都市伝説があって、デートに行こうにもそもそも相手がいない、およそ女子とは札幌と岡山くらい離れた学生寮に住んでいた坊主頭たちには、まったく無縁の世界。
理系の友人たちは、「そりゃそうよ、デートに行くいうたら高知城か映画館しかないじゃいか、それにたいてい高校生の恋愛は続かんき、高知城にデートに行ったカップルは必ず別れる、ということにならあよ」、と統計学の論理で力説していた。
さておき、今ほど監視の目が厳しくなかった頃、真夏の盛りに高知城本丸の廊下に続く畳で昼寝をすると、風がそれはそれは気持ちが良かったが、外観は4重、内部は3層6階建ての天守の最上階には、「落書き・飲酒・喫煙」に「昼寝」が書き加えられ?ていた。