安芸市奈比賀の皆さんには、「ふれあい教室」の運営に絶大な御協力をいただいている。
今回、「奈比賀公民館」主催の公民館講座(年間のべ4回開講)、"奈比賀公民館プレゼンツ"「森林鉄道跡を歩こう会!」の道案内のお話をいただき、先ずは2回にわたり「伊尾木森林鉄道」跡の遺構を歩いて来た。
今に思えば、2022年10月に、ずっと憧れて来た「駒背越え」による、徳島県の旧「木頭村」から高知県安芸市へのリトルカブでの縦断成功が、「奈比賀」の地に御縁をいただくきっかけだった。
「昭和は遠くなりにけり」だが、地域の皆さんの記憶に残っている、かつての「伊尾木森林鉄道」の残像を思い出しながらのハイキングのお供のつもりでお引き受けしたのだが、県内外から森林鉄道マニアの皆さんや、斯道の大先達の皆さんに御参加いただくこととなり、遊山も長く続けていればこんな幸運に行き会えるものかと感激しきりのこの頃である。

第1回 2025年4月29日(火)

第2回 2025年5月24日(土)
令和7年度の「公民館講座」はのべ4回の開講を予定していて、前半の2回がフィールドワークで、後半の2回は「奈比賀公民館」の室内開講で、「伊尾木森林鉄道」が「伊尾木川」流域の人々の産業や暮らしに、どのような役割を果たして来たのかを学習する予定になっている。
第1回 2025年4月29日(火)
「赤鉄橋」
「魚梁瀬森林鉄道」で
「カッチン」と呼ばれる理由は?
第2回 2025年5月24日(土)
「美舞ダム」に浮かぶ
「加勝谷橋」の遺構の一部

素掘りのトンネル

「眼鏡橋」北口

「眼鏡橋」南口

市道部分廃線のお知らせ

「大井の高架橋」跡


「伊尾木森林鉄道」の代表的な遺構の一つ「大井の高架橋」跡は、線路が剝がされてシュールな枕木だけが残っていたのだが、今回訪ねてみると枕木も取り外されて、グレーチングの作業道に変わっていた。
経年劣化して行く枕木が落下する可能性も日に日に高まっていたこともあろう、廃線鉄道マニアには淋しい光景でも、お住いの皆さんにとっては、作業道として利用できる方が便利であるに違いない。
この機会に、このあとの第3回、第4回講座に備えて、「伊尾木森林鉄道」跡の遊山記録をまとめておこう。
【花の鉄橋跡】
「伊尾木森林鉄道」の遺構について、これまで訪ねたことがあったのは、「安芸市」のその名も「花」に残る鉄橋跡だけだった。
上流側から下流側を見る
【伊尾木森林鉄道跡との出会い】
【高知安芸自転車道】
♪時は元禄15年~♪、8年近く前になるが、2017年11月、まだ遊山のメインが山登りだった頃、香美市の「鉢ケ森」を目指して物部川の右岸(北岸)、林道マニアの聖地の一つ「谷相林道」を登攀していたところ、「物部川」を境にして、北は重たい雪雲、南は真っ青な快晴、高度を上げるにしたがって、降雪と路面凍結が強くなり、あえなく山行を断念した。
根がケチな性格で、せっかく香美市にいる、太平洋側は真っ青な晴天、このまま帰宅するのは片腹痛い、さてどうしたものかと考えていて思い付いたのが「高知安芸自転車道」だった。
昔一度だけレンタサイクルを借りて、「とでん」(土佐電気鉄道)の「後免安芸線」の軌道跡に敷設された自転車道の、ほんのサワリの区間だけ走ったことがある。
「手結」(てい)から「安芸」まで片道15km、往復30kmあるが、今日は山登りに来ている、久し振りの「ふんだらモーター」(踏んだら回(も)うたー)だが、「まあ行きゆうちにそのうち着くろう」とレンタサイクルに跨った。
安芸市には中学高校の同級生の実家があり、久し振りに友人の母上様にご挨拶をと立ち寄ると、その日偶然帰省していた友人に再会したことが、「伊尾木森林鉄道」や「安芸市奈比賀」、そして「ふれあい教室」に御縁をいただくきっかけとなった。
【古井の集落】
友人から「ふれあい教室」の話を聞いているうちに、「安芸市」には大きな川が2つあって、西には「五位ヶ森」に源を発する「安芸川」、東には「駒背山」に源を発する「伊尾木川」があり、「ふれあい教室」は「伊尾木川」下流の「奈比賀」にあること、従兄弟の奥さんの出里であり、お世話になった先輩の御主人の転勤先でもあった、「古井」(こい)の集落は「伊尾木川」上流にあることを知った。

「古井小中学校」跡
「2018年豪雨」の爪痕が残る

土砂に埋もれたトーテムトール


往時を偲ばせる石積み

【奈比賀城址】
「安芸自転車道」の「手結」から「安芸」を往復した年の翌年、「2018年豪雨」は「伊尾木川」流域に甚大な被害を及ぼし、「ふれあい教室」がある「中角」(なかつの)の対岸(「伊尾木川」西岸)、県道208号線(奈比賀川北線)の山肌が大崩落を起こし、「ふれあい教室」の真ん中に迂回路が敷設され、「伊尾木川」に架けられた仮設橋の跡が、現在も国土地理院の地形図に残っている。
大崩落を起こした「ふれあい教室」の対岸の「西山」山頂には、「奈比賀城址」(「並川城址」とも)があり、特に独標点226mを通る稜線の古道は、現在の「安芸市土居」から、「伊尾木川」の最上流部の集落である「安芸市別役」を結ぶ、「安芸の土居」から「別役の土居」への山上の往還道で、往時の風格を漂わせる古道が残っている。
奈比賀の地名の由来は、伊尾木川・小川川・名村川が並び流れることから「並川(なみかわ)」だとされている他、並川家の墓が存在することも奈比賀の地名の由来となっているが、定説ではないようである。
【10】付近の濃い歩行ログは
付近の登山道の損傷が激しく
ショウレンで簡易修復をした跡

「奈比賀城址」への
最近できた登山道入口
「奈比賀」は
「本村」「大江」「中角」の
三つの集落からなっていて
「ふれあい教室」は
「中角」集落にある

「2018年豪雨」で大崩落した
山肌の修復跡が見えている

「2018年豪雨」の時
約25km上流にあった
「古井小中学校」から
流れ着いて来た平均台
稜線に取り付いた

「郭中の土居」から
「別役土居」への格式高い古道

♪あれに見えるは
安芸市街地じゃないか?

良く晴れた日には
「足摺岬」まで見渡せる

「奈比賀」を知るための
2冊のバイブルがこれ!
【伊尾木森林鉄道】
「伊尾木森林鉄道」を鳥になって上空から俯瞰すると、「伊尾木川」の流れに沿って、車道としては「伊尾木川」河口の「伊尾木貯木場」から「奈比賀」を経由して、「安明寺(あみょうじ)橋」(「大久保」)までは県道207号線(大久保伊尾木線)、「大久保」から「伊尾木川」最上流の「別役」を過ぎ、県境の峠「駒背越」までは安芸市道「古井別役線」となっている。
現在、「高知東部自動車道」の「南国安芸道路」が延伸中だが、国道55号線の特に安芸市周辺には迂回路が少なく、災害時に起こる様々な問題点が危惧されている。
高知市、徳島県の旧「木頭村」、安芸市を結ぶ道路は、壮大な三角形を描くが、災害等によって安芸市の国道55号線周辺が寸断されると、「安芸市」背後の山を越えて、徳島県の旧「木頭村」や、高知県の香美市へ迂回しなければならない。
ただし、台風や大雨などで国道55号線周辺が寸断されるような場合は、きっとそれよりも先にこれら迂回路の県道の方が先に寸断されるに違いない。
「伊尾木森林鉄道」は、三角形ABCの辺BCの一部に位置するが、現在もこの流域の道路は、大雨でしばしば通行止めになり、国道55号線の迂回路とはなりにくい。
△ABC
辺BCにあたる、安芸市街中心地から、高知と徳島の県境「駒背越」の峠までは、現在の車道で約50kmある。

この区間に明治42年から昭和37年にかけて、「伊尾木森林鉄道」の幹線と、幹線から分岐する6つの支線があり、主に国有林の搬出に利用されていた。
【高知県境の道路】
高知県の背後を東西に走る、四国の脊梁「四国山地」の分水嶺は、そのまま愛媛県や徳島県との県境になっている。
高知県から県境を越えることができる道路を『高知県の道路2022』(高知県)で数えてみたら、車で走行できると思われる車道だけで43本の道路があった。
【林道東川千本谷線】
2022年10月に「伊尾木森林鉄道」の遺構を、リトルカブで訪ねるルートとして計画したのが、この壮大な三角形ABCを高知市から時計回りに走るルートだった。
念願だった徳島県側から安芸市への「駒背越え」に成功すれば、あとは「伊尾木川」に沿ってゆらゆらと下るだけ。
災害復旧工事のために、長い間通行止めになっていた「林道東川千本谷線」の徳島県側が開通したとの吉報が届き、いよいよ機は熟したり、細工は流々後は仕上げを御覧じろと、リトルカブに飛び乗った。
「伊尾木川」最上流にある「別役」から、県境の「駒背越え」を越えて徳島県の旧「木頭村」へ越える林道が「林道東川千本谷線」で、「林道東川千本谷線」(高知県側)や「林道東川千本谷線」(徳島県側)と表記されることが多いが、行政上は独立した林道なのだろうか、この「林道東川千本谷線」の入口は、高知県側と徳島県側、両県ともに「起点」と書かれた道標が立っている。
【徳島県側】
高知県側にもあった

【高知県側】


舗装区間が切れる

なかなか山が深い

こりゃ落ちたら命はない
♪死んでも命がありますように♪

おやッ!

や、やあ、初めまして

「別役」に降りて来た

「別役公民館」

越えて来た「駒背越」に大蛇の伝説が残っていることを、毎週欠かさず録画して観ている『土佐のむかし話』で知った。
『土佐のむかし話』の、第896回「昭和の怪談オロチを見た」(佐川町)は、安芸市の「伊尾木川」の上流、「伊尾木川ダム」の近くにあるという沼を探しに行く佐川町の植物好きの2人の男の話だが、現在この沼はないらしい。
そろそろ本題の「伊尾木森林鉄道」の遺構をご紹介したいのだが、その前に高知県に森林鉄道がいかに多く敷設されていたかを、この分野のレジェンド的なウエブサイト『四国の廃なものと鉄道』で紹介されていた地図でご紹介したい。
今回、ずっと長い間の念願だった「伊尾木森林軌道」跡の探索が、想像していたよりもはるかに順調だったのは、この伝説的なウエブサイト『四国の廃なものと鉄道』に紹介されていた、緻密な地図と詳細な歩行記録があったからこそであった。
1988年生まれだという管理人の「九朗」氏はいったいどんなかただろう、いやはや世の中には物凄い人がいるものだと、かねてより憧れている。

「高知県廃線案内」の地図をご覧いただきたい、すべてが森林鉄道ではないが、大半が森林鉄道である。
子供の頃、周囲の大人たちは「国有林」のことを「官山」(かんざん)と呼んでいたが、それはまるで江戸時代の「御留山」(おとめやま)の響きで、庶民の立ち入りを厳しく禁止する「不入山」(いらずやま)の響きでもあった。
郷里の「四万十町」、旧「窪川町」にも、国鉄「窪川駅」のすぐそばに窪川営林署の広大な土場があり、土場の隅には何十軒もの社宅が並んでいて、その中には同級生も何人か住んでいた。
"窪川の奥座敷"「松葉川温泉」の奥にあった「窪川営林署森ケ内斫伐(しゃくばつ)事業所」が、「窪川営林署松葉川事業所」として改称と移転をしたのは1927(昭和2)年から1928(昭和3年)のことだが、そのはるか前、「森ケ内」から「下呉地」まで軌道が敷設されたのはなんと1904(明治37)年。
かの「魚梁瀬森林軌道」が起工されたのが1910(明治43)年、「魚梁瀬森林軌道」に勝るとも劣らぬ遺構が残る「伊尾木森林鉄道」が開設されたのが1915(大正4)年、それよりもさらに前のことだったとは驚いた。
その後、1962(昭和37)年に「伊尾木森林鉄道」が、1963(昭和38)年に「魚梁瀬森林軌道」が廃止、さらに1967(昭和42)年に、「大正営林署佐川山線」(下津井~佐川)が廃止を最後に、四国から「森林鉄道」が消えた。
「伊尾木森林鉄道」の遺構を御紹介する前に、これまで訪ねて来た中で印象深かった廃線軌道跡をいくつか御紹介したい。
【石原満俺鉄道】
【土讃線廃線軌道跡】
【土佐石灰工業引込線】
前説が長くなり過ぎたが、それではいよいよ2022年10月に、「伊尾木川」の源流部から河口へと、川の流れに沿って探索してきた「伊尾木森林鉄道」の遺構を御紹介して行こう。
現在の「高知県安芸郡」は、「安田町」「田野町」「奈半利町」「北川村」「馬路村」と「芸西村」と「東洋町」の7町村だが、「安芸郡の中部」ということで「中芸」という地域名で呼ばれているのが、「安田町」「田野町」「奈半利町」「北川村」「馬路村」の5町村である。
「伊尾木森林鉄道」は「安芸市」にあるが、「魚梁瀬森林鉄道」はこの「中芸5町村」の中に、「安田川線」と「奈半利川線」の2つの幹線を中心として、たくさんの支線が敷設されていた。
「伊尾木森林鉄道」には、「伊尾木川」河口の「伊尾木」から上流の「古井」周辺までの「幹線」と、「花」から分岐する「小川(おごう)線」、「美舞」(みまい)から分岐する「西川(にしのこう)線」、「仙谷」(せんだに)から分岐する「仙谷線」、「島」で分岐する「横荒線」と「別役線」、「別役線」からさらに分岐する「久々場山線」の6本の支線があった。

「魚梁瀬森林鉄道」は、「安田川」や「奈半利川」の河口から上流へと敷設されて行ったが、「伊尾木森林鉄道」の幹線部分は、「伊尾木川」の上流から下流へと軌道が敷設されて行った。
明治42年に「古井~杉ノ瀬」間、続いて明治43年から明治44年にかけて「杉ノ瀬~大井」間、「大井~伊尾木」間が敷設されたのは大正4年で、支線が敷設されたのはさらにその後である。
なお、西日本で最長だった「魚梁瀬森林鉄道」の総延長は250kmを越えるが、「伊尾木森林鉄道」のほぼ幹線部分にあたる、河口の「伊尾木」から県境の「駒背越隧道」までの現在の車道の距離は約50kmである。
【林道東川千本谷線/高知県側】

【駒背越隧道北口(徳島県)】


四国第2の高峰「剣山」(1954.9m)

【駒背越隧道南口(高知県)】
【林道東川千本谷線(高知県)】
一旦舗装が切れる


ここにも「西又山」登山口

土砂崩れの路面に注意しながら

安芸市の山奥の
奥深さに見とれながら

それにしてもこの林道は

落ちたらアウトじゃねえと
あれこれ考えながら走っていると

10時の方向にカモシカを発見

目が合っても

威風百々

ちっとも人間を恐れる気配なし

この切通しが堪らんッ

1本目のヘアピンカーブ

「西又山」はここから登るのか

「駒背山天然ブナ林」

この「起点表示」は
徳島県側にもあった

あんなところにいたなんて

2つ目のヘアピンカーブから
越えて来た「駒背越」を仰ぎ見る

眼下に「別役」最奥部の住宅

あの鞍部が「駒背越」付近

「アマゴの養殖場」
『ポツンと一軒家』に
御登場願えないだろうか

【別役公民館】
【久々場林道】

「別役」最南端の
民家の右前方に
「久々場線」跡への分岐


堪りませんな

トンネルが出現

トンネルを抜けて

左上に登っていくと

「別役小通学校」跡地なのだが
大量の落ち葉が積もっていて
カブのタイヤが滑って登攀不能

あえなく通って来た道へ逆戻り

【張川林道周辺】
「久々場線」は
「久々場林道」分岐からではなく
少し下流の「別役橋」から右に分岐
していたとの記述をウエブ上で見た

この付近から
大半が豪雨で流されている
「くわのき橋」

Web上によく紹介される
「青い屋根の家」はあるのだが

「くわのき橋」は
真ん中で切れていて

橋桁は川原に落ちている

おそらくこのお宅は
現在は無人かと思われる

前方に「桑ノ木橋」が見えて来た

橋で右折南進すると
林道マニアの聖地で
登龍門の一つでもある
「張川林道」に進入できる
「宝蔵峠」を経由して
「安芸川」上流の「畑山」に
抜けることができる

残念ながら本日は通行止め


「橋ケ谷堰堤」に着いた
対岸にあるのは
放水路だろうか魚道だろうか
もし魚道だとすると
川面で相当飛び跳ねないと
魚道に進められない気がする

増水した時だけ
魚が上流に遡上できるのだうか?
それとも
接水部分が流失したのだろうか?

「下瀬橋」(ゲゼ橋)は
対岸の住民のかたの生活道

「島」の集落にも
「2018年豪雨」の深い傷跡が

先行の皆さんの記事では
ここまで傷んではいなかった


「鏡川」(高知市)と「物部川」(香美市)に架かっている橋の数を、実際に数えに行ったことがあるが、特に「物部川」上流、いわゆる「奥物部」の吊り橋の損傷が痛々しかった。
なお、「物部川」の名前には、こんな由来があったことを、この時初めて知った。
物部川は、もともとは「鏡川」という名前でしたが、江戸時代の元禄13年(1700年)に五代藩主・山内豊房が現在の高知市を流れる川に鏡川の名をつけたことから、「物部川」と改められました。
『物部川流域を知る』(物部川流域ふるさと交流推進協議会)より
御用とお急ぎでないかたは、是非お立ち寄り下さい。
支線である「横荒線」への分岐

現在は「横荒林道」となっている

「伊尾木川」(右)に
「横荒川」が合流する
【古井小中学校跡】
「安芸古井簡易郵便局」跡
迂回軌道が車道から分岐

ぐるりを回って車道に合流

「仙水黒髪の清水」

君の名は?

再び迂回軌道が車道から分岐

軌道跡の雰囲気満天

うぅむ残念

車道に合流

「伊尾木ダム」近しの風情

高知市の水瓶
「鏡ダム」上流も
似た雰囲気だが
これほどゆったりしていない

「安明寺(あみょうじ)橋」に到着
「別役」から
「安明寺橋」までが
「安芸市道古井別役線」

「安明寺橋」(大久保)から
「伊尾木」までの間が県道207号線
「大久保伊尾木線」となる


「古井」と「仙谷」の間に
「佐四郎」の畝があることから
こんな囃子唄が残っている
♪恋(古井)もせんだに(仙谷)
なぜ子ができた
中にさせろ(佐四郎)の畝がある♪
「安明寺橋」の上流に

「安明寺堰堤」

「安明寺橋」から
下流の安芸市街地方向を見る

この「安明寺橋」南詰から
支線「仙谷線」が分岐していた

「伊尾木川ダム」の
西の山塊が「美舞山」
東の山塊が「加勝谷山」
ダムの別名は「美舞ダム」
ダム湖の鉄橋は「加勝谷橋」
ちょっとした大河の雰囲気
画像の右上に見えている坂道が
支線「西ノ川(にしのこう)線」跡

「加勝谷橋」は
「見舞ダム湖」の中で
北半分が切れている

幹線はダム湖西岸から
「加勝谷橋」でダム湖北岸に渡り
「伊尾木川」に沿って東へと遡上
支線「西ノ川線」は
ダム湖北岸で大きく切り返し
「西ノ川」に沿って北へ遡上する

(イメージ)
「仁淀ブルー」にも
「瀬戸川グリーン」にも
勝るとも劣らぬ
「美舞川グリーン」

ダム湖の北岸から
「伊尾木川」右岸に回り込み

「加勝谷橋」に
接近しようと試みたが
ダム保守点検の人々がいて
控え目な小心者には無理だった

しからばと堰堤へと進んだが

特別な許可がないと入れなかった

放水している真上あたりに
「伊尾木森林鉄道」の遺構が
多く残っているエリアがある
次の機会には
下流の「眼鏡トンネル」からの
旧「安芸市道」で挑戦してみよう

「見舞ダム」の少し下流に
【伊尾木川ダム】
「ふれあい教室」(安芸市奈比賀)の「伊尾木川」対岸にある「伊尾木川発電所」は、上流にある「伊尾木川ダム」で取水された水を山上に敷設した総延長約10kmの圧力導水路に通水し、発電所の真上にあるサージタンクから約130mの落差を利用した水力発電を行っている。
原子力発電所の内部は「伊方発電所」(愛媛県伊方町)で、ダムの内部は"高知市の水がめ"「鏡ダム」で見学したことがあったが、水力発電所の内部を「ふれあい教室」の社会見学で初めて見学させてもらった。

「伊尾木川ダム」(安芸市古井美舞谷山)で取水された水は、「伊尾木川発電所」まで10,121.1mの圧力導水路を通って、「伊尾木川発電所」背後の山上にある口径6.0m、高さ34.75mの差動式サージタンクに到達する。
「伊尾木川ダム」の取水地点の標高は約160m、途中には標高500mほどの場所もあるが、最終的には「伊尾木川発電所」の背後、標高約130mにあるサージタンクまで運ばれる。

「伊尾木川ダム」取水口と「伊尾木川発電所」の高度差約30mを、約10㎞かけて圧力導水路を流れてきた水は、有効落差約130mの水圧鉄管を落下させ発電の使命を終える。
興味深かったのは、発電を終えた水が発電所のすぐ目の前の「伊尾木川」に放水されるのではないことで、「伊尾木川」の川面の水位に無理なく合流させる地点を計算すると、その位置は「伊尾木川発電所」からだと約1キロ下流の県道208号線の「さるや橋」付近となり、「伊尾木川」への放水路は標高差わずか7mを約1kmかけて下っている。

(参考)導水管経路と走行ログ
「伊尾木川」源流部から、「伊尾木川ダム」(美舞ダム)まで、「伊尾木川」の流れに沿って下って来たが、「眼鏡トンネル」(障子藪)への吊橋「裏政橋」付近で日没サスペンデッド。
今晩「一宿一飯」に預かる友人との待ち合わせ場所、「ふれあい教室」(奈比賀)へ直行、今回のお楽しみの一つ、「眼鏡トンネル」(障子藪)から、「伊尾木川」河口の「伊尾木土場」(伊尾木)までは、明日あらためて、今日とは反対に「伊尾木川」河口から「伊尾木川」の流れに沿って遡上することにしよう。
2日目は、「伊尾木森林鉄道」の終点(?)である「伊尾木貯木場」から、「伊尾木川」に沿って北上、前日に日没サスペンデッドとなった「眼鏡トンネル」まで、遺構を下流から上流へと訪ねて行く。
【花の鉄橋跡】
ここからは2日目となるが、安芸市街地の旧友の実家に泊めてもらっていたので、昨夜「ふれあい教室」に泊車したままとなっている「リトルカブ」の回収から1日が始まる。
「奈比賀」から上流の「眼鏡トンネル」に向かい、ゆらゆらと下って来たら良かったのだが、物事はそうそう上手くはいかない。
前日の壮大な三角形ABCを、辺ABと辺BCの途中の「奈比賀」まで走ったので、ガソリンが残り僅かとなっている。
△ABC

辺BCの最終後半区間

いたしかたない、予定していた「眼鏡トンネル」から南下するのは諦めて、安芸市街地まで一旦降りてから、「伊尾木」から「眼鏡トンネル」へ北上することにした。
昔はガソリン携行缶にガソリンを給油できたが、最近はそれができないため、今回のようにガソリンスタンドがない山奥の林道を走る場合は、常にガソリンの残量を意識しなければならない。
人馬ともにお腹いっぱい

「伊尾木貯木場」入口

立入禁止





「伊尾木貯木場」入口から北に
「五位ケ森」(左)と
「久々場山」(右)を仰ぎ見る

「伊尾木森林鉄道」敷設の功労者
「川島渉翁」の頌徳碑(左)と
殉職者の慰霊碑が並び建っている

「土佐くろしお鉄道」の
「ごめん奈半利線」踏切を越えたら

続いて国道55号線の信号を北に渡り

突き当りの狭い路地が軌道跡

やがて軌道跡は
製材所の前に出て来て
画像の左手の北へと進み

軌道跡は製材所の奥で途切れ
現在その先には
ビニルハウスが立ち並んでいる

幹線は県道207号線
「大久保伊尾木線」に沿って北上

県道を北上する途中で
「東山森林公園」方向へ右折すると
ご機嫌な「猿押林道」を経由して
「馬路村」へと抜けることができる

「花」の沈下橋が見えて来た

「花の鉄橋」跡の南詰

軌道跡が緩やかな曲線を描く

重厚な造りの橋脚

威風堂々

「小川川」を跨ぐ部分は鉄製の橋桁

シュールとしか言いようがない

展望台への階段

「小川川橋梁」を間近に見られる

「花」の遺構の北詰にあたる

対岸「伊尾木川」右(西)岸に
県道208号線(奈比賀川北線)が見える

「花」の集落側
「伊尾木川」左(東)岸は
県道207号線(大久保伊尾木線)
上流付近は道幅が狭く
しばしば通行止めになる

「伊尾木森林鉄道」幹線は
地元で「東道」と呼ばれる
県道207号線に沿っているが
あいにく本日は全面通行止め
「花の沈下橋」を渡り
県道208号線を「奈比賀」へ向かう


【安芸市東川】

安芸の名湯「こまどり温泉」
安芸の名産「入河内大根」の方向へ

「奈比賀城址」登山口を過ぎると

「伊尾木川」のたもとに
お洒落な時計台がある
「ふれあい教室」が見えて来る

道なりに進むと
県道は208号線から
207号線に変わって
「奈比賀天満宮」前に



さらに県道207号線を北上し
「こまどり温泉」への分岐があり
「入河内大根」で知られる「東川」集落へ

格式高く由緒ある「船岡神社」

「赤鉄橋」(西坂本橋)への入口

この日は途中で断念したが
「東川」から「奈比賀」の間には
大きな「切通し」が2つ残っている



この鉄橋の先で、軽トラックで登って来られた地元の男性に「切通し」の場所をお聞きすると、道が荒れているのでカブでは行かない方がよいと教えていただいた。
どうしても見たかったので、歩いて行ける距離かを尋ねると、なおのことやめた方がよいとのことだった。
今年4月29日の「森林鉄道を歩こう会!」で、「赤鉄橋」から「奈比賀迄」までの約1.5kmをハイキング気分で歩けたのは、直前に重機が入り、軌道跡の林道が整備された直後だったからだった。


渡って来た「赤鉄橋」を
トボトボと引き返す帰り道

「西坂本橋(赤鉄橋)」の上流にある
この「坂本橋」も
2008年豪雨で流失してしまい
その後に架け直された橋とのこと

【眼鏡トンネル】
「東川」集落から約2km上流
「黒瀬」集落にも
軌道跡が残っている
「黒瀬」集落から約4km上流
「大井」集落には
高架橋の遺構が残っている

巨大な車道の切通し
トンネルを刳るよりは
ラクだったかもしれないが・・

「大井」集落が見えて来た
画像中央やや左寄りは
「尾村神社」の鎮守の森

高架橋跡の南詰(下流側)

「黒瀬」から登って幹線が

画像左上の高架橋へと進む
中央の下り坂は
「尾村神社」へ続く車道

画像中央下の
ヒトツバが密生している所が
「大井の高架橋」の南詰になる


橋桁に残る枕木がシュール

中央鞍部には
「伊尾木川ダム」から
「伊尾木川発電所」までの
圧力導水路が
地上に出現する場所がある

高架橋跡の北詰(上流側)

関係者以外進入禁止

現在の高架協跡

枕木が撤去された後に
グレーチングが敷かれ
作業道として使用されている

本日の最終目的地
「眼鏡トンネル」(障子藪)に向かう

県内各地で「森下画伯の絵地図」を目にしたかたが多いことと思う、馬路村だったと記憶しているが、初めて森下画伯ご本人と会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
背が高いスポーツマンタイプの、いわゆる美男子でありながら、とても気さくなお人柄で、初対面の小生にも優しく接して頂き、天は二物を与えずと言うけれども、稀代の例外とはこのことかと感じ入った。
令和元年6月19日の四国森林管理局のホームページに、森下画伯は次のように紹介されている。
この「四国の山々たんね歩記(あるき)」は、安芸森林管理署安芸・入河内森林事務所の森下首席森林官が長年に渡り四国の山々を歩きながら、山や森の魅力と見どころ、地域に伝わる民話・伝承などの物語をイラストに書き留めたものです。「たんねる」とは、高知県西部の幡多地域で話されている方言「幡多弁」で、人や土地などを探して歩く、土地の名所や会いたい人を探しに行く、あるいは探訪するなどの意味です。
本年2月から高知県が「自然&体験キャンペーン」を展開するなど、豊かな自然と景観を育む森林の観光資源としての活用が重要になっています。この「四国の山々たんね歩記」には、四国4県の山々の魅力や見どころなどがイラストにまとめられています。自然豊かな四国の観光振興に少しでも役に立てばと思います。安全第一で四国の山々を楽しんで下さい。
(現在は高知中部森林管理署 在勤 R7.4.1現在)
「森下画伯の絵地図」では、「大井」集落と「障子藪」との間の「伊尾木川」左岸に、「杉ノ瀬製材所(杉ノ瀬パルプ工場)」の表現で記されているが、このエリアの左岸には山が迫っていて広い場所がないことと、「絵地図」上で空いたスペースがたまたま左岸側だったことによるもので、実際の製材所は「眼鏡トンネル」南口を抜けた前の、県道から「伊尾木川」対岸の右岸に見えている場所にあったものと勝手に想像している。
対岸右岸の県道から見えていた植林の場所で、かつてこの場所に製材所があったのではないかと想像するのだが、いまだ確証が取れていない。
「眼鏡トンネル」南口は画像中央の杉林の左裾で、かつてこの杉林の中に「杉ノ瀬製材所」があったのではないかと勝手に想像している。

「伊尾木森林鉄道」は、「伊尾木川」上流のここ「杉ノ瀬」から始まり、明治42年に「杉ノ瀬~古井」間、続いて明治43年から明治44年にかけて「杉ノ瀬~大井」間が敷設され、「大井~伊尾木」間が敷設されたのは大正4年で、支線が敷設されたのはさらにその後である。
「裏政橋」(吊り橋)が見えて来た

対岸には「障子藪」の集落があり
かつては数軒の民家があったという

足元がスケルトンではないので
少々揺れてもさほど恐怖感はない

カブに乗ったまま渡り切った

突き当りを右折すると
森林鉄道の軌道跡が
「伊尾木川ダム」まで続いている

安芸市道だったらしいが
令和5年3月31日をもって
部分廃線する旨が告知されていた

左折して「眼鏡トンネル」へ向かう

軌道跡は左下の草の道
軌道跡から上がった所にも
民家が何軒かあったらしい

「伊尾木川」に沿って
軌道跡を歩いて行くと

「眼鏡トンネル」の北口に着く

「杉ノ瀬」にあった
複線区間の名残りという説と
新旧トンネルの跡の説がある
向かって左のトンネルは
通り抜けできたが
右のトンネルは行止りだった
右手は柚子畑だった

左手は広大な杉の植林で
植林がされる前はここに
「杉ノ瀬製材所」があったのでは
と思わせる眺めだった

「眼鏡トンネル」の南口
2024年の秋に再訪した日には
至近距離で猿に遭遇して驚いた

こんな森林鉄道の遺構は
日本でもかなり珍しいのでは
北口へ戻る帰路に着いた

右下には
「伊尾木川」の緩やかな流れ

「裏政橋」を県道へと渡る

予定していた遺構跡を訪ね終え
「裏政橋」で打ち上げの遅めの昼食
いやあ今回の遊山は
なかなか楽しませてもらった
「タンノータンノー」(堪能堪能)
今回の「森林鉄道跡を歩こう会!」で、「魚梁瀬森林鉄道保存会」の皆さんのお話を聞く機会に恵まれ、かつての高知県内には自信の想像をはるかに越える多くの森林鉄道があったものの、貴重な産業遺産というべき森林鉄道の遺構のほとんどが、人知れず植林の中に、あるいは草叢や藪の中に埋没して消え去ろうとしていることにあらためて気づかされた。

( 出典:『四国の廃なものと鉄道』ホームページ )
「魚梁瀬森林鉄道」の遺構のように、重要文化財の指定を受けるような歴史遺産とすることは困難でも、森林鉄道の記憶が残る世代がいるうちに、各地の森林鉄道に関する記憶や記録を共有し合えるアーカイブを創設できないものだろうかと考えている。
今住んでいる土地や生まれ故郷、あるいは親戚縁者や友人知人が住まう土地に残る、森林鉄道の思い出や聞き覚え、あるいは当時の写真や映像などを、聞き取って収集しておく最後の年代にさしかかっている気がする。
線路が剝がされた森林鉄道の軌道や橋や切通しは、年ごとに人々の記憶から消えて行き、森林鉄道の遺構は日に日に土に還って行く。
最後に、今回の「伊尾木森林軌道」跡の探索で携行していた、手持ちのオリジナルマップを、「伊尾木川」上流から下流の順に紹介したい。
伝説的なウエブサイト『四国の廃なものと鉄道』に紹介されていた、緻密な地図と詳細な歩行記録を自分なりに紐解き、国土地理院の地形図にメモ書きとともに書き落としたマップなので誤認も多々あることと思うが、これから「伊尾木森林鉄道」跡を散策するかたの参考になればと願っている。








