弥生三月、晴天の好日、安芸市奈比賀「大江」地区の、共聴アンテナの保守登山にお誘いを受けた。
地図を見ると、共聴アンテナがあるという山は、約1年前の2024年2月18日に登山道の点検に行った「奈比賀城址」(「伊尾木川」右岸)の、「伊尾木川」を挟んだ対岸(「伊尾木川」左岸)の、標高286mの独標点付近にあるという。
山上へ続く作業道の先には、ずっと気になっている「高峰神社」(三宝様)が元あったと思われる場所に、鳥居の地図記号もあり、これはもう渡りに舟。
「行きます、行きます、是非連れて行って下さい」、集合場所の安芸市教育支援センター「ふれあい教室」に急いだ。

共聴アンテナは「大江」地区の背後にあり、「奈比賀城址」との間には、安芸市教育支援センター「ふれあい教室」がある。
かなり上流に遡っても、広い川幅を持つ「伊尾木川」は、古来より大変な暴れ川で、「2018年豪雨」では流域各地に甚大な被害の爪痕を残した。
地形図に「ふれあい教室」と書き添えた、「れ」の字の下に橋が架かっているが、この橋は仮設橋で現在は撤去されて今はもうここに橋はない。
「中角」地区の対岸、「伊尾木川」右岸が大崩落して県道208号線が不通になった期間、「ふれあい教室」のグラウンドの中に迂回路が敷設され、仮設橋で県道208号線に渡っていた時の名残りが、国土地理院の地形図にまだ残っているというわけである。

一行は、1「ふれあい教室」を車で出発、地元の皆さんが「東道」(ひがしみち)と呼ぶ県道207号線を下流へと南下、2「車道分岐」で左折、「小谷川」に沿って「大磯」や「小谷」方向へじわじわと登攀して行く。
入山を予定していた5「作業道分岐」や、3「旧道分岐」を過ぎ、「㐧一大磯隧道」を抜けた先にある、4「名高山地蔵尊」を目指す。
然る後に、再び 5「作業道分岐」に戻り入山、すぐに軽トラックがぎりぎり通れるぐらいの幅の作業道に合流し、6「共聴アンテナ」に向かい、保守点検の後、7「柚子畑」で作業中の御夫婦に挨拶。
作業道は 7「柚子畑」のすぐ北、 8「四差路」で3方向に分かれていて、北へ直進すると、土佐と阿波の分水嶺「八杉森」(三等三角点「八ッ杉」1029.2m)方向へと続く道、西へ左折すると9「大江」へと降りる道、東へ右折すると3「旧道分岐」へ降りる道、いずれもかつて良く踏まれた、往還の雰囲気を漂わせている。

「㐧一大磯隧道」西口に到着



うぅむ渋過ぎる

内壁に構造計算?の跡

「大磯橋」

蛇行する「小谷川」を渡る

おや?

手入れの行き届いた原木シイタケ

4【名高山地蔵尊】地域で日々丁寧に
お祀りされている方を思うと
みだりに立ち入らない方が良い



これまで見て来た中でも
秀逸な佇まいを感じた社だった


「大磯橋」を再び渡って

「㐧一大磯隧道」東口へ

「おおいそばし」

「㐧一大磯隧道」から約400mほど上流が「大磯」集落だが、ここは「伊尾木川」の支流「小川川」(おごうがわ)の、さらに枝流の「小谷川」、「伊尾木川」河口からだと約10kmも山奥の地で、太平洋からはかなり離れている。
「磯」という字からは海辺を想像するのだが、川の岸辺の岩場も「磯」ということを、ここ「奈比賀」で初めて教わり、これまで山峡の地で、「磯」の字が地名や人名に使われていることがあったが、なるほどと大いに合点がいった。


5【作業道分岐】

画像左側の車道は
県道207号線へと下っている
それゆえ県道から登って来ると
里道は左後方へと切り返すことに

里道はすぐに車道に合流し、「伊尾木川」右岸の「長山」集落を見渡せる場所(歩行ログに「5」とある付近)に出る。
白く見えているのは、最近復旧工事が終わったばかりの、県道208号の大きな擁壁で、その右上の木立ちの奥には牛の牧場があるそうである。
画像右寄りに見えている小さなピークが、「奈比賀城址」(226m独標点)ではないかと思うのだが、自信はない。

歩いて登っている時には半信半疑だったが、なんとこの道を通って、軽トラックで【7 柚子畑】まで通っている御夫婦がおられるとのこと。

植栽も実に豊かで

美しく苔生した岩もある

たしかこの分岐は↖(左上)だったかと

この付近は御機嫌な登山道だが

こうなるともう立派な車道

『ポツンと一軒家』なみの

車道が山上へ続いて行く

まもなく【6 共聴アンテナ】では?と思いながら、車道の左上に視線を移すと何やら人造物らしき石垣が見えている。
経験が教えるところによると、「炭焼き窯」の跡と思われる。
「炭焼き窯」跡と思しき場所は
「ふれあい教室」の文字の右下
「作業道」の文字の右下にある
「286m独標点」の「6」の辺り

路肩の崖を
カモシカよろしく駆け上がると
そこには炭焼き窯の跡があった

「あそこにアンテナが見えちゅう」
そう言われましても
どれも杉の木に見えて
どこにアンテナがあるのやら

少し先に進むと
画像の中央左手に
共聴アンテナへと続く道が現れる

【6 共聴アンテナ】

こらッ驚(おど)かすな!
びっくりするぢゃいかッ
共聴アンテナからのケーブルが
この黒い筒の中に入り地中に埋設
麓の「大江」地区へ続いているらしい

どういう造作になっているのか
何メートルかおきの間隔を開けて
地中にパイプが打ち込まれている
保守点検用の穴だろうが
黒い蓋をバカッと開けて
どんな作業をするのだろう?

山上の共聴アンテナの足元部分

造り自体はシンプルに見える

「俺ん家(く)のテレビ、U(ユウー)が映り出したがぞ」
「えー、良(え)いねー、今度見せて」
当時はまだ「ラジオ高知」と呼ぶ人が多かった、現在の「高知放送」、NHK、NHK教育放送、この3つしかチャンネルが無かった子どもの頃、新たにUHH放送で「テレビ高知」が映るようになり、UHFの「U(ユウー)」とチャンネルの「チャン」からだったのだろう、「テレビ高知」のことを、「ユッチャン」あるいは単に「ユー」と呼んでいたように思う。
たしか、UHFの38CHか62CH、二つのチャンネルで受信できたように思うが、あれはいったいどういう原理によるものだったのだろう?
昔のUHFアンテナを思い出すが、そして、実際にUHFアンテナかもしれないが、電波や電線は、我が天敵である雷の、地上への「蜘蛛の糸」のように思い込んでいて、電波や電気の分野には一切寄り付こうともせず、したがって全く知識がない。

共同受信施設(きょうどうじゅしんしせつ)は、集合住宅や山間部といったテレビ・ラジオの難視聴地域で放送波(電波)を共同で受信するための設備である。共聴施設とも呼ばれる。
主として都市部に集合住宅共同受信施設があり、山間部に難視聴解消共同受信施設があると言うことができ、共聴組合として組合組織で運営している施設もある。日本の地上デジタルテレビ放送への移行期において、特に難視聴地域が多い山間地の過疎地域を中心に、共同受信施設のデジタル化対応の改修が大きな課題となった。
( 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
再び作業道に戻り
【7 柚子畑】へ向かう

オッと
西の方角に視界が開けちょる

【6 共聴A】の
「A」の文字の上付近から南西へ
「伊尾木川発電所」方向に視界が
「奈比賀」は、「大江」「本村」「中角」の、三つの地区からなっている。
眼下に見えているのは、「伊尾木川」右岸、「本村」地区にある「西ノ宮神社」や「奈比賀天満宮」の南に広がる広大な畑。
「伊尾木川」はかなり上流に遡ってもその広い川幅に驚かされるが、田んぼはあまり見かけないが、流域の農地も広くゆったりとしていて、風景からものどかな印象を受ける。

南西に「伊尾木川発電所」が見える

「伊尾木川ダム」(安芸市古井美舞谷山)で取水された水は、ここ「伊尾木川発電所」まで、山上に埋設された10,121.1mの圧力導水路を通って、「伊尾木川発電所」背後の山上にある口径6.0m、高さ34.75mの差動式サージタンクに到達する。
次にサージタンクから有効落差129.9メートルの水圧鉄管を通して水を落下させ、麓の発電所にある立軸フランシス水車を回転させることで、最大出力7,700kWの電力を発電している。

子ども時分に郷里では
「芋壺」と聞いた記憶がある
防空壕にしてはチト狭過ぎる

【7 柚子畑】

「ほら、あそこに軽トラが停まっちゅう」との水先案内人の声に、ここまで歩いて登って来た道は、里道や登山道ではなく、柚子畑への作業道だったことに初めて気付いて驚いた。
地形図に284m独標点が見えている、こんなに標高の高い場所でも、柚子を作っている御夫婦がおられる。
聞けばこの作業道、水先案内人の御両親だったか、祖父母様だったかが切り拓かれた道らしく、一同異口同音に、「昔の人はえらい」と思わず声を挙げた。
土佐弁で「昔の人はえらい」という時の「えらい」は、「偉い」とも「強(えら)い」とも感じ取れるが、現代のように「ブルで突き進む」のではなく、ツルハシや鍬の柄を何本折ったやら、ショウレンを何本曲げたやらで道を付けた昔の人は、「えらい」としか言いようがない。

【8 四差路】
今日の秘かな楽しみは、【3 旧道分岐】から山越えで西麓の「大江」へ越える古道と、【5 作業道分岐】からここまで登って来た作業道が、徳島県との県境に聳える「八杉森」(1.029.2m)方向へと続く、ひょっとすると土佐と阿波との往還道ではないかと思う古道との、山上の交差点【8 四差路】に立つことだった。
そして、これは推測だが、【7 柚子畑】から、西麓の「大江」地区に降りる道の途中にある鳥居の地図記号の場所は、かねてより気になっている「高峰神社」(三宝様)が元あったという、「押ケ峰」ではあるまいか。
氏子さんたちの高齢化にともない、現在は麓の「大江」地区に遷移しているという、農業の神様「高峰神社」(三宝様)が元あった場所へは、次の機会には必ず行こうと思っている。

画像右下への道は、南南東【3 旧道分岐】へ降りる古道で、画像左正面上に登る道は、北北東「八杉山」方向へと向かう、土佐と阿波との往還道ではないかと小生が勝手に推測している古道。
そしてこの道が、西麓の「大江」地区へと降りる古道で、途中には「高峰神社」(三宝様)が元あったという、「押ケ峰」という場所があるに違いない。
【5 作業道分岐】から山上の交差点【8 四差路】までの道を教わったので、「高峰神社」(三宝様)が元あった「押ケ峰」を訪ねる日は、西麓の「大江」地区から【8 四差路】へと登ってみたいと思っている。
画像左の小ピークの向かって右に

複数本の塊ではないか?
とお聞きしたが
♪この木なんの木
気になる木~♪
が聳え立っている

今日は【5 作業道分岐】まで車に乗せて来てもらっているので、おさらいをしながら登って来た道を東麓へ下山しよう。
うちお二人は登って来た作業道を走って駆け降り、なんとお一人は【6 共聴アンテナ】から【9 大江】まで、道なき道を直滑降、皆さん突然ウサギとなって山上から姿を消した。
残る我々3人は、登って来た道をゆらゆら歩いて下山、駐車していた車に乗って「ふれあい教室」に帰ったが、獣道を一人で直滑降したかたは、途中の電話連絡から想像するに、標高差約240mを10分足らずで下山されたと思われる。
作業道を走って降りたお二人は、我々が迷わないように、迷いやすい分岐点にペットボトルを立てていると、電話で知らせてくれた。
里山に暮らす人々の、想像を絶するパワーと、心遣いに触れた春の好日だった。

【5 作業道分岐】に無事下山

ほぼ『ポツンと一軒家』のような祖母の家は、高知県西部の幡多郡の山奥にあるが、子供の頃に遊びに行くと、年長の従兄弟たちがツルハシを肩に背負って、裏山に登って行くのを時々見かけた。
「ヤマイモを掘りに行きゆうが?」と聞くと、「ヤマイモが今時分にありゃあしよい、今度の時化は風が強(えら)かったじゃお?山のソラに立てちゅうアンテナが倒(かや)ったか傾ぶいたにかーらん、テレビが映らんなったきに見に行きゆうがよ。アンテナがおったら良(え)いけんど、どこぞへ飛んで行っておらんなっちょったらワヤぞのう、アンテナを買いに1回降りて来て、また登り直さんといかん。そうじゃ、おまん、ちょっこり登って行って、アンテナがおるかどうか見て来てくれんかえ?いやじゃおネヤ、鳥も嫌がる坂じゃもネヤ、ふぇっ、ふえっ、ふえっ」
笑いながらそう言い残すと、従兄弟たちは納屋の裏側から、共聴アンテナが立つ、太平洋が見渡せるという山の天辺へ登って行った。
もう半世紀以上も前になるが、その時の情景は、今でも鮮明に覚えている。