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三宝山(土佐市) 予習【10/10】仏像

 日本列島には「仏像構造線」という大断層があると、高校の地学の授業で習った記憶がある。

 その時の地学の先生は登山家だったが、登山道具が汚れて来ると生徒に貸し出していて、それは綺麗になって返却されるからだと言っていた。

「仏像構造線」の授業では、命名のもとになったのは、旧「高知県高岡郡戸波村(へわむら)」、旧くは「仏像村」と呼ばれていた地名であると説明してくれていたのだろうが、おそらく体育の時間の水泳の後の6時間目あたりで白河夜船だったのだろう、その記憶はない。

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【全行程】
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【周辺図】地図最上部の中央
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仏像構造線
Butsuzo Tectonic Line

■ おおよその構造線の位置
 仏像構造線(ぶつぞうこうぞうせん、Butsuzo Tectonic Line)は、日本の南西部において北東から南西の方向に連なる断層である。1931年、小林貞一が高知県高岡郡戸波村(現 土佐市西部)にある地名「仏像(仏像地区の位置/地図)」にちなんで仏像-糸川構造線と命名し、後に仏像線あるいは仏像構造線と呼ばれるようになった。地質学においてはしばしばBTLと略記される。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


正面が「三宝山」だが
 この付近で標高差は約200m
  直登するのはあまりにもきつい
   ラクに登れる道はないだろうか
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跨道橋「純信橋」より
「平岩」集落を経由して
 最奥部の「仏像」集落へ
  画像中央やや左が「三宝山」
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画像中央やや右が「三宝山」
 近づいて行くにつれて
  独特の山容が薄れて行く
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この巨大な平らな岩が
「平岩」の地名の元だろうか
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平坦な頂上部に常夜燈がある
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道路に大岩が溢(ま)けている
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この地の名産「小夏」の畑
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集荷用のモノレール
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後方右上に切り返す道がある
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「三宝山」(272m)直下の
  標高約180mまで続いている
 帰りに立ち寄ってみよう
  もしかすると
   参道入口があるかもしれない  
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古地図では
 ここに参道入口があるが
  とても近づく勇気はない
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「仏像」集落に着いた
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丁寧な石積みの仕事
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 集落の上部に登ると、東の方角に「三宝山」を見渡すことができた。

 底が見えている川は意外に深く、指呼の間にある山は意外に遠く高いが、古地図に2か所あった旧参道をふもとから登るよりも、「三宝様」へラクに行かれそうな気がする。(最近は水が低きに流れるようにいつもラクな道ばかり追い求めている)
 
 画像の左下から右上へ登っている作業道は、今しがた「虚空蔵山」からの下山時に降下を断念してきた、「虚空蔵山道」から「土佐市市野々」へと分岐する道の、そのまた枝道である「仏像」集落への道に違いない。

 せめて行けるところまで、「仏像」集落の側から登攀しておこう。

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生姜の段々畑を降りて行く
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生姜の段々畑は初めて見た
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あの道を
 行ける所まで登ってみよう!
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その意気や良しッ
 だったが
  アッという間に前進不能
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対面の山肌に
「三宝山」を見渡していた
 「仏像」集落の最上部が見える
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名前は知らないが
 花に見送られて帰路につく
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もう一つの作業道に分岐し
 標高約180m地点を目指したが
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すぐに終点の作業場に着き
 しかも周辺に参道入口はなかった
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「仏像」集落で2度目の退散
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前方右上への坂道が
 引き返し降りてきた作業道
  手前の小夏の木の左上
   左後方への踏跡に見える道が
    旧参道に思えるが夏草が茫々
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「市野々」集落の北
  橋を渡った左手に
   真っ白に塗装された廃バス
  前方には
   この地の氏神様だろうか
    夏祭りの幟が立っている
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 以前「虚空蔵山」に登った日に、その当時は山名が「三宝山」だとは知らなかったが、林道のどこかで「三宝山」と正面対峙したことがあって、どうせ近い内に登るだろうと思って、1枚だけしか撮影しなかったことだけは記憶に残っている。

 パソコンの中をずいぶん探したが、いつもの自分勝手な早合点もあって、なかなか見つけられなかったのだが、ある日ふとしたことで偶然発見することができ、思わず素っ頓狂な喚声をあげたことだった。


 地形図で「虚空蔵山道」途中の撮影地点を見ていると、「三宝山」の山麓は、「仏像」「平岩」「静神」などそそられる地名で溢れていて、大いに惹かれる林道も敷設されていた。

 秋祭りの前後に「三宝山」の詳しい情報を提供いただけそうなのだが、しばらく「虚空蔵山」に御無沙汰しているうちに、昔の記憶がかなり曖昧になっていることがわかったので下見に出かけてみた、秋に「三宝山」へ登るのを今から楽しみにしている。


Commented by タメやん at 2023-08-08 21:54
>手前の小夏の木の左上左後方への踏跡に見える道が旧参道に思えるが夏草が茫々

あー、ここもありえるか。
Commented by ky_kochi at 2023-08-09 08:30
これまた未確認の情報ですが、「三宝山」へは、「仏像」集落と「平岩」集落の、二つの集落から参道があったそうですが、「静神」からの参道の情報はありません。

なお、これまでの情報では、「仏像」集落と「平岩」集落からの参道は、古地図にある歩道とは微妙に違っているように感じています。
Commented by タメやん at 2023-08-10 22:54
「仏像」集落からは峠からの稜線上と思うが、「平岩」集落からはいくつか考えられそうだ。

航空写真の南北の筋状は果物運搬用モノレールらしく、参道とは関係ない様に見えた。
Commented by ky_kochi at 2023-08-11 09:06
「平岩」集落を過ぎ、「仏像」集落に入る手前、茫々の草叢からの踏み跡が旧参道ではないかと思いますが、秋祭りの前後にここが刈り払われているかどうかが楽しみです。

 ただ、「仏像」集落の山上で、長くお住いと思われる女性にお聞きしたところ、「秋のお祭りの時には人が行きゆう(参道の刈りあけとお祀りのため?)そうです」と教えてくれる目線の先には、麓からいったん東方向へ登って行く「虚空蔵山道」への枝道がありました。

 そして、目と鼻の先にあるように見えた「三宝様」へは、「しばらく行かんといけませんぞね」とも付け加えていただきました。

 遠く緩やかな巻き道よりも、一気に急坂を越えていく道が多いのが、日本の古道の特徴と聞いたことがあります。

「虚空蔵山道」への枝道の途中から「三宝様」西のナロい稜線を横歩きするより、夏草茫々の旧参道から一気に急勾配を駆け上る、といったところかと想像しています。

 どちらから行くにしても、宮相撲の相撲取りも見物客も、大変な道のりだったことと思います。

 相撲取りも今のようにメタボではなく、見物客もまた健脚揃い、昔の人は強(えら)かった、というところでしょうか。
Commented by タメやん at 2023-08-14 11:13
謎神社2/3

図書館のゼンリンの住宅地図には「二見興玉神社」と載っていたが、「白皇神社」は載っていなかった。

謎神社1/3・謎神社3/3も記載なし。


「仏像」集落手前の変則的な4差路の旧参道

ゼンリンの住宅地図には北北東の谷沿いに道を記載していたが、稜線との中間辺りで途切れていて、航空写真では虫除けのタメか木に袋を被せた様な所になっているが、尾根上でないので行き止まりか?


樽の滝も、高速の橋脚下の案内図の詳細(拡大)で鉾ケ峯寺からすぐ下に行く道が階段で描かれていたので、これは参道静神線となり、樽の滝がその道の右に描かれている事と、滝は等高線が拡がっている所から急に縮まった所に多いので、候補を絞り込んでみた。
Commented by ky_kochi at 2023-08-14 12:40
手元にある1994年6月のゼンリン地図には、「二見興玉神社」も「白皇神社」も載っていませんでした。

地形図の航空写真の272mの西北西約240mに、そこだけ赤い円型に見える場所がありますが、GoogleMapの航空写真にはありません。

松食い虫にやられた松の木かもしれませんが、果樹園の施設のようにも思えてきました。

ただ、人造物ならこんな円型の建屋は考えにくいですね。

高知県土佐市市野々(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
33度27分12.06秒 133度18分56.13秒33.453350,133.315592ズーム:18
UTMポイント:53SLT43450281
標高:242.4m(データソース:DEM5A)

静神にお住いの、中高年の男性にお聞きしたところでは、この周辺で滝の話は聞いたことがない、とのことでした。

この絵地図を描かれたかたは、もっと広々としたキャンバスに、ありのままにおおらかに描きたかったものの、少しキャンバスが狭かったのではないかと想像しています。

ううむ、謎は深まるばかりです。
Commented by タメやん at 2023-08-14 19:57
>そこだけ赤い円型に見える場所

同じ質問をした事よ。

https://rara.jp/sengaku/page2370

の No.2375


>この絵地図を描かれたかたは、もっと広々としたキャンバスに、ありのままにおおらかに描きたかったものの、少しキャンバスが狭かったのではないかと想像しています。

GO氏も「樽の滝の件は案内図が間違って作られたと考えられますね」と言っていましたが、こりゃ狐につままれたか?
Commented by ky_kochi at 2023-08-14 20:29
どういう偶然か、2年前の2021年8月29日に、「興津峠(興津坂)展望台」へ県道52号線の「興津坂トンネル」を抜けて行った日の帰り、久し振りに旧道を通ってみようかということになって、「赤い円型に見える場所」のすぐ下を走行していましたが、車道からはそれらしきものは見えていなかったか、気付いていなかったかのどちらかだと思います。

ところでこの「興津坂トンネル」の名前を調べるべく、GoogleMapのストリートビューを見ていたら、トンネル北口の画像が、トンネル中央でちょうどつぎはぎのようになっていました。

https://goo.gl/maps/KvxmiRTgEFmDJLao9

もう少し調査を続けますが、どうもこの「樽の滝」は、あったとしても土砂崩れで消失してしまったのではないかと。

Commented by ky_kochi at 2023-08-17 09:21
『瀬戸の島から』の「中四国の霊山16 高知県の虚空蔵山は、祖霊の山」
http://tono202.livedoor.blog/archives/4579580.htmlに「附心の滝」とあり、その他にも『戸波村史』からの引用が多かったので、オーテピアに出かけて来ました。
 あいにく『土佐市史』と『戸波村史』はともに「貸出中」となっていて、『土佐市史』は以前おおむね見ていましたので、「館内閲覧用」の『戸波村史』だけ見てきました。
 この『戸波村史』は、これまで見た市町村史の中で、『鏡村史』とともに感銘を受けた史料でしたが、「附心の滝」も「樽の滝」も、ともに見つけることができませんでした。
 案内図の作者のかたに直接聞いてみたい気持ちが、日増しに強くなるばかりです。
Commented by タメやん at 2023-08-17 15:30
この山の山上一帯には、石鎚神社への鉄鎖、石室の通夜堂、御手洗池、弘法大師の岩屋などがあります。その他、精進ヶ岩、クロウ嶽、神武天皇のいたオオネギ(王が畝に来たの意)、附心の滝など、神と仏のワンダーワールドなお山です。

確かにこれっぱーあったらワンダーワールドやけんど、どこにあるんかなあ。
Commented by ky_kochi at 2023-08-18 08:53
三宝山(土佐市) 予習【7/10】虚空蔵山道 にコメントをいただいた、

謎神社2/3

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.461814/133.317911/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

から北東に約150m下流に、川を跨ぐ道が見えている付近、または「謎神社2/3」の付近が「樽の滝」ではないだろうかと思い始めています。

 また、「参道静神線」は、「鉾ケ峯寺」直前の石段から、真っ直ぐ北東の「静神」集落に下る道だと思ってきましたが、現在の「虚空蔵山道」の一つ内側にある、「謎神社2/3」の南の背後を回り込んでいるように見える道だったのではないかとも思い始めています。

「静神」集落で、「白皇神社」に立ち寄ってから集落に帰って来た道を「参道静神線」のように話す小生に、地元在住の男性はそれを明確に否定されたわけではありませんが、「参道静神線はその道ではない」というように感じるお話しぶりだった気がします。
Commented by ky_kochi at 2023-08-18 08:55
 あれからオーテピアで、「虚空蔵山」と「鉾ケ峯」を、「縁起」のキーワードで検索して3つの史料を見て来ましたが、「虚空蔵山」も「鉾ケ峯」もともに、「徐福伝説」に関する記述がほとんどでした。

「石鎚神社への鉄鎖、石室の通夜堂、御手洗池、弘法大師の岩屋などがあります。その他、精進ヶ岩、クロウ嶽、神武天皇のいたオオネギ(王が畝に来たの意)、附心の滝」の中で、これまで実際に目にしたのは「石鎚神社への鉄鎖」ぐらいということになります。

 3つの史料の中の『高吾北文化史』には、「柴折り峠」は「塩売り峠」が転じた峠名であるとか、この斗賀野と戸波の往還峠付近には広大な草刈場「ミコノ」があり、「太刀洗い」という地名が残っていること、斗賀野と戸波の青年たちによるものでしょうか、「酔夜の乱闘騒ぎは大正まで」あったとか、興味深い記事がありました。

 また、「ニ 滝淵の伝説と奇談」の項では、高吾北で初めて聞く滝もいくつか紹介されていましたが、「虚空蔵山」の佐川町側の「白水の滝」は大きく取り上げられているものの、土佐市側になるからでしようか、「樽の滝」はありませんでした。
Commented by タメやん at 2023-08-20 12:38
>から北東に約150m下流に、川を跨ぐ道が見えている付近

ここはどうも、砂防ダムの様です。

>または「謎神社2/3」の付近が「樽の滝」ではないだろうかと思い始めています。

鏡の樽の滝には龍神社があり、「謎神社2/3」の奥(南)の谷が分岐する辺りが等高線が狭まっている所もあり、「謎神社2/3」の南の背後を回り込んでいるように見える道がゼンリンの住宅地図では道の線も途切れていないし、

>「参道静神線はその道ではない」というように感じるお話しぶりだった気がします。

から、これが参道静神線とすると条件にピッタリで、自分も最初はそこだと考えていたが、案内図の参道静神線の描き方が静神集落から西~南西の道にしか見えず、参道静神線の右側にないので違うと思っていた所だった。

候補地として、ココ(と北東の谷が分岐する辺り)を考えていた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.467283/133.322634/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
Commented by ky_kochi at 2023-08-20 15:38
 候補地のこの谷もあやしいですね、しかし、この案内図の作者は大変な滝を残してくれました。

 これほどさがして見つからないどころか、とっかかり一つにさえ行き当たりません。
Commented by ky_kochi at 2023-08-20 17:01
「虚空蔵山菩薩堂」は現在の「鉾ケ峯寺」と思います、境内入口に独特の水器を載せた大岩があり、その由来について気になっていましたが、『高吾北文化史』に「虚空蔵堂のゆるぎ石」と題した以下の記述がありました。


 虚空蔵山菩薩堂の境内にある大自然石で、古来、天皇・将軍家・藩公などにあるじの死去、または戦争天変地異の起るときはおおいに揺れ動いて凶変の前兆をしたということで、安政の大地震や日清・日露の戦争に先だってもこの兆があったというが、近時の大凶変には国は敗れて、世は乱れるというのに全くそれをみない。
 一説にこの岩石はたびたび揺り動いては下の部落に転落することが重なるので、あるとき神がかりの老婆が祈念して「おしずかに、おしずかに」というと揺りやんだ。由来この部落をシズカミといったとか。
 いまも注連縄を張りめぐらして不浄を禁じられている。
Commented by タメやん at 2023-08-21 15:37
ゆるぎ石(岩)・ゴトゴト石も、土佐山・朝倉・足摺とか色んな場所にあって驚くが、今も注連縄はあるんかなあ。
Commented by ky_kochi at 2023-08-21 16:34
もうすっかりご無沙汰していますが、前回訪ねた時には、朝倉にはかろうじて注連縄(の跡?)があったように思います。

約15年前に初めて鉾ケ峯寺を訪ねた日、ゆるぎ岩の周囲には、注連縄を張り巡らす四方柱の細竹だけが残っていた記憶がありますが、小生の記憶ですのでちっとも定かではありません。

最近に結界を意識した注連縄を見たのは、朝倉神社の御神体で神奈備山である「赤鬼山」の山頂辺りだったと思います。
Commented by タメやん at 2023-08-23 13:43
>「謎神社2/3」の南の背後を回り込んでいるように見える道だったのではないかとも思い始めています。

どうもその様ですが、

>旧参道から進もうとしましたが、道がわからず断念…。

https://yamap.com/activities/9426151

https://yamap.com/activities/9987169

https://yamap.com/activities/9426151/article#image-123815505

設置位置は、「三宝山(土佐市) 予習【1/10】鉾ケ峯寺」の『「2区」の表示』の所で、いつの間にかなくなったらしい。


となると樽の滝も絞られた。
Commented by タメやん at 2023-08-23 13:48
と言うか、リンク先は参考に案内図の拡大写真を張り付けたソースだった…。
Commented by ky_kochi at 2023-08-23 19:32
2009年2月15日にカブで行った時だった思います、当日の画像が残っていないのですが、「虚空蔵山道の「2区」の道標から、おそらく旧参道と思われる「参道静神線」に分岐して、少しだけ登攀してすぐに引き返していました。

もうそれ以上進めないというほどではなかったと思いますが、その先にあまり期待が持てそうになかったので、その当時は新たに延伸中と延伸中という印象だった「虚空蔵山道」へ、すぐに引き返した記憶があります。


2017年5月3日に投稿した『虚空蔵山(土佐市~佐川町~須崎市)』の、前半5分の1の終わりあたりに、当時の「2区」の画像をアップして、前回来た時にはそこから少し登攀していたと書いていました。

https://chabon.exblog.jp/27776301/


惜しいことです、もう少し勇気を出して行ける所まで行っておくべきでした、毎度のことで自分でもウンザリしますが、後の後悔先に立たず、です。
Commented by タメやん at 2023-08-24 11:52
ミニ八十八ヶ所絡み

https://yamap.com/activities/22854655

https://yamap.com/activities/22906219

5月に行った①の半分だけ通った牧野博士の通った道を通られた方のYAMAPを観ていたら、佐川ミニ88ヶ寺石仏?

https://oharm.exblog.jp/13463007/

が写っていた。

①には、北から77番 道隆寺、76番 金倉寺、74番 甲山寺

②には、北から51番 石手寺、38番 金剛福寺

これからすると、かなり大きいミニ八十八ヶ所のハズだが、これも検索しても出て来ないとは…。
Commented by ky_kochi at 2023-08-24 12:36
『わが町の文化財と旧跡』(佐川町文化財と旧跡編さん委員会/編)の、「佐川八十八ケ所霊場 旧佐川町内」に、一番から八十八番までの所在地と本尊が詳しく記されていました。

 同じ佐川町の「川ノ内」のミニ八十八か所は、ネット上にも情報が沢山ありますが、この「旧佐川町内」の方は石仏が揃っていないためか、ネット上で情報に行き当たりません。

 旧「吾北村西津賀才」の奥、「高樽川」上流の「川又」集落の周辺にもミニ八十八か所があったそうですが、過疎高齢化によって草叢に埋没しつつあるそうです。
Commented by タメやん at 2023-08-24 21:17
>『わが町の文化財と旧跡』(佐川町文化財と旧跡編さん委員会/編)

ありがとうございます。

さっそくネット予約しました。


>旧「吾北村西津賀才」の奥、「高樽川」上流の「川又」集落の周辺にもミニ八十八か所

昨年末に行った3kばー南の「小川ミニ八十八ヶ所」と別か。

昔は、一杯あったんだなあ。(信仰心が篤かった=犯罪も少なかった。かなぁ。)
Commented by ky_kochi at 2023-08-25 09:19
「小川ミニ八十八ヶ所」を巡拝した時にも、貴重な情報を沢山いただきありがとうございました。

「川又」集落がある「高樽川」の流域は、「剣光山」を目指した頃、「奥大野越」から旧「本川村」の「大森川渓谷」へ越境する時に走りました。

 後になって、先輩の紹介で「川又」在住の歌人のかたと知り合い、「ミニ八十八ヶ所」のことを教わりました。

 周辺には、「仏堂」「後生楽」「花ノ木」など、そそられる地名がいっぱいありました。

 この「剣光山」や、土佐町の「剣ケ岳」など、県内の「剣」と名が付く山は、今でも強く印象に残っています。
Commented by タメやん at 2023-08-25 12:49
「参道静神線」備忘録

https://yamap.com/activities/3329091
Commented by ky_kochi at 2023-08-25 14:42
やのっちさんの「虚空蔵山、参道探しの旅」を見ると、「2区」の分岐の先はすぐに竹藪になっていました。

ということは、「もうそれ以上進めないというほどではなかった」という記憶が残っている小生の引き返し地点は、「2区」の分岐からごくわずか入った地点ということになり、あと一歩の心構えがないひ弱さを、無意識に隠そうとする記憶の誤魔化しがバレバレです、残念。
Commented by タメやん at 2023-08-26 12:37
今回の記録で分かった事は、虚空蔵山道と参道静神線の間にコンクリート道(「これも部落道?」の写真)があり、地形図の航空写真の2013他にも写っていた事。
(使われているのか、余り荒れていないのに驚いた。)

また今頃気付いたが、不思議なのは地形図の1本線(拡大すると2本線)が点線になる所から、南の尾根の奈路い所に40m位直登し、そこから西に30m位直下している点。

普通なら上記の線種が変わる辺りから200mの等高線辺りをトラバースするのが自然なんだが、(平坦地か小ピークになっていると思われるので)祠(社・神社)でもあり、わざわざそこに行く必要があったのだろうか。(cf.ゼンリンの住宅地図)
Commented by ky_kochi at 2023-08-30 08:25
 本日午後に復旧する予定ですが、自宅のネット環境に想定外のアクシデントが発生したことと、Wi-Fi環境がある場所に移動できなかったこと、移動できたとしてもノートパソコンを持っていなくて、返信が大変遅くなり申し訳ありませんでした。

「南の尾根の奈路い所に40m位直登し、そこから西に30m位直下している」場所、地形図で確認できました。

 たしかに、「わざわざそこに行く必要があった」と思われる道程です、新道の敷設とともにさらに現況は地形図と乖離していることと思いますし、廃道に近いかもしれませんが、一部残っているコンクリート道からしても、なんらかの痕跡が残っているようにも思えます。

 今秋、めでたく三宝山に登る段取りがついたら、近寄ってみたいと思います。
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by ky_kochi | 2023-07-29 13:20 | リトルカブ | Comments(28)