下山は「山荘梶ケ森」から「ゴロゴロ八丁」を経由、投入堂の佇まいの「御影堂」を見て「定福寺奥之院」へと戻る予定であったが、「ゴロゴロ八丁」のあまりの荒れようと残雪とに阻まれ、あえなくルートを変更。
弘法大師の修行の跡といわれる「御影堂」は「ゴロゴロ八丁」の崖の上にあるが、寄る年波のせいであろうか、最近は高いところだけでなく、足場の悪いところまでからきし意気地なしになってしまった。
下山は、
「梶ケ森の霊水」→「山荘梶ケ森」
→「ゴロゴロ八丁」→「定福寺奥之院」
→「龍王の滝」→「駐車場」の予定
なお山荘の北東にある「ふたりの丘」は
単独登山者には癪に障るので立ち寄らない
下山は、「山荘梶ケ森」から「ゴロゴロ八丁」を経由、案内図のBコース(青線)を下る予定だったが、「ゴロゴロ八丁」を下ることができず大きく東に迂回、この案内図でいうと「ヤマアジサイ群生地」を反時計回りに遠回りすることになった。
山頂広場で昼食を済ませ
アンテナ群の中を通り下山開始
山頂の西に昔から気になっている稜線
北西に延びる稜線にはピークが3つ
土阿(=土佐と阿波)県境の方向にナイスビュー
山頂西の稜線への作業道入口
四国電力の鉄塔番号であろうか
林道マニアにはゲートの光景がたまらない
ファンタスティック
エクセレント
キャンプ場への入口を過ぎると
左手に「梶ケ森の霊水」
昔からの光景だが
利用方法がずっと解らずにいる
車道に戻ろう
霊水の少し下に「ゆかし豊永」の碑
ここにもシカの食害の跡
「山荘梶ケ森」に到着
3月いっぱいは休業中
山荘駐車場の西隅の
「文殊菩薩」の前を山荘の裏に回り込み
「ゴロゴロ八丁」への登山道に入る
「白髪山」(旧物部村)でもよく見かける
シカの食害対策用のネット
若葉の季節が待ち遠しいブナ
はてどちらに行ったものか・・
「定福寺奥之院」まで
右上は距離が長く(790m)
踏み跡が少ない
右下は距離が短く(370m)
踏み跡も多い
距離的に見て残り370mが
「ゴロゴロ八丁」最上部に違いない
右下へ進むとこの分岐に着くので
ここを右下へと分岐すると
残り270mで「ゴロゴロ八丁」だが
試しに直進してみると
北に展望が開けた場所がある
先ほどの分岐に戻り左折すると
「ゴロゴロ八丁」へはあと270m
「ゴロゴロ八丁」は絶壁に挟まれた谷で
イメージ的には分岐から横に進み
突き当りを左に直角に曲がり
絶壁の間を落ちて行く感じ
ブナの巨木の左を一段下りて
正面の突き当りで左下に直角に曲がる
まずはこの鉄筋の階段で一段下へ
「御影堂」は右の絶壁の上の方
岩の影で黒くなっている部分の下に
投入れられたように建っている
この突き当りで左下におりて行く
この画像からは上手くお伝えできないが
「ゴロゴロ八丁」はかなり先まで続いている
行って行けないことはなさそうだが、「ゴロゴロ八丁」というだけに大小の岩がゴロゴロしている上に、登山道というよりは滝に近い踏み跡はすっかり薄れ、しかも日陰なので雪が解けずにまだ残っている。
何年か前に「ゴロゴロ八丁」経由で山頂に登った時と比べると、大雨の影響なのか相当に荒れている。GPSで見ると、「定福寺奥之院」はほんの目と鼻の先。かりにズルズルと滑りこけたとしても、そのまま転がり着くことはできるのだが、、、
今日はもうこのルートを通る人もあるまい
滑落して頭を打って意識を失いでもしたら
皆さんに多大なご迷惑をおかけする・・
臆病者の敵前逃亡なのに
勇気ある撤退と一人勝手にこじつけて
先ほどの鉄筋製の階段を逃げるように登る
「定福寺奥之院まで270m」の分岐まで戻り
ここを左折して
「定福寺奥之院まで790m」の分岐に戻り
今度は右上のトラバース道を行く
頼もしい先行者の踏み跡に安堵する
ここでいったん登りになるので
つい左下に行きたくなるが
ここは道なりに右へと進む
いつもながら赤テープにはホッとする
フォークというよりは三つ鍬ですな
こ、こんにちは
随分と仲がよろしい二人だが
よく見ると隙間がある
誰かに恋路を邪魔されたらしい
右の倒木に身を任す左のへし折れた枝
世の中は持ちつ持たれつ
いったい何があったんです?
樹相が変わってきた
「定福寺奥之院」へと下る作業道に合流
ここから登っても「梶ケ森」は面白そう
作業道を反対に少し登ると車道に合流
麓から車で登って来るとこんな眺め
車道から西を覗き込むと
作業道が右上へも延びている
♪笹の葉さ~らさら~
夏は涼しそうなベンチ
右上に駆け上がる作業道の先は
四等三角点「鎌滝」(1130.1m)か?
「定福寺奥之院」へは左下へと下る
簡易舗装が施されているが
落石と倒木で現在は車では無理
作業道の終点
間伐の大切さを説いている
杉の植林の中を少し下ると
「定福寺奥之院」の東側に到着
「通夜堂」の東に下りてくることになる
昼過ぎなのにまだ2度を指している
どうも壊れているらしい
「護摩堂」の背後に回り込むと
幻想的な苔の岩場が広がっている
「ゴロゴロ八丁」はたしかここからかと・・
最近は歩く人も少ないのか
かなり荒れていて踏み跡も消えている
よくお見かけしますが・・
「護摩堂」の西に戻り
「定福寺奥之院」を後にして下山開始
やあ、そこにおいでましたか
この谷岸は随分前からえぐれたまま
水流が岸をえぐることを
「ほぐる」と言う年配者がおられる
蛇嫌いにはこれさえ蛇の頭に見える
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
今朝のベンチの雪は消えている
「龍王の滝」の滝壺の真上に来た
雪も解けていて今なら行けそう
こ、これは高い
ここまで覗きこむのが精一杯
「龍王の滝」を後にする
ケルンがある
ベンチの雪はすっかり消えても
握り締めるためか雪だるまは残る
この道標の素材にある
この印は
何ですろう?
駐車場へは上の横道をトラバースする
旧登山道は現在通行止め
駐車場には展望台がある
先客はみんなもう帰ってしまった
「ようこそ!大豊」だったような記憶あり
なお、大豊は「おおとよ」と読む
登っておこう
変わったものが見えるかもしれない
「天狗の鼻」が見えている
手摺の影に沿って雪が残っている
雪の粒がザラメのように大きい
ここもお気に入りの場所の一つ
コーヒー・ミルク・バーベキュー
一度は行ってみたい
農家民宿&カフェ「レーベン」
「レーベン」から北を見ると、画像中央に見える水色が四国三郎「吉野川」(JR豊永駅付近)で、白色は北岸の大崩落の跡。画像右奥が下流となり、上流の「早明浦ダム」でいったん堰き止められた水は、この先徳島県の「大歩危小歩危峡」を通り、河口のある徳島市へとつながっている。
「梶ケ森へ登る時には、豊永駅のネキ(=そば)にある食堂に寄ってみて。僕の名前を言うてもろうたらタダになるき」
先輩のご実家かご親戚とお聞きしていたが、豊永駅の近くにあった食堂に数年前に立ち寄ってみたところ、すでに閉まっている様子であった。
「豊永」出身の職場の後輩は、学生時代に都会から実家に遊びに来た友達が梶ケ森の麓から夜空を見上げた時に、「あれは星?」と聞かれて「あれは僕の家の灯り」と答えたとのこと。
「大田口」出身の中学高校の後輩の実家には、高校の夏休みに旧窪川町(現在の四万十町)の実家から、本山町までサイクリングに行った時に一泊させていただいた。
二人の後輩はともに若くして星になってしまったが、初めて登った梶ケ森が「豊永発大田口コース」であったことは、何かのご縁だったように思えてならない。
高知自動車道から高知に帰る夜、立川PAから見上げる星空もそれはそれは見事で、つい見とれてしまう。営林署のOBのかたが、月夜の雪の梶ケ森へ誘ってくれたことがあった。雪山に登らない小生は深謝して辞退したことだったが、今になってとても残念に思っている。