国道56号線の「仁淀川大橋」を西進していると、「仁淀川大橋」あたりから左手前方の稜線に、一際大きい巨木が見えてくる。
この巨木については、少なくとも20年ぐらい前からずっと気になっている。Google Mapと1/25000地図によれば、「義盛山」(144m)から南へと続く稜線に立っているものと思われる。海抜も140mほどの稜線、どりゃ、膝を鍛えにちょっと行ってみよう。
「仁淀川大橋」西詰の南
地理院地図で古道の峠付近と
見当をつけて
いつもの一人勝手な思い込みで
稜線に取り付いてからは南進したが
「義盛山」へと北進すべきであったような・・
「仁淀川大橋」のほぼ中間
「土佐市」の標識のあたりから
稜線に一際高い巨木が見える
左手が「仁淀川」河口の方向になる
どうしても気になる巨木
クスノキであろうか?
ここから見てあの大きさがある
相当に大きいと思われる
県道282号線へと左折
「横川末吉」老翁は、高知商業高校で長く教鞭をとられたとの記事を読んだが、我が母校の中学高校にも着任されていた時期があり、1年間だけだったと思うが、日本史の授業を受けたことがある。
ユーモアたっぷりの語り口、独特のヴォーカル、、。高校時代の先生の中で、記憶に残る先生のお一人である。
「銭形平次が履いている水色のズボンは何という服ですか?」と授業中に質問すると、「あれはねえ、、股引きよねえ、、パッチとも言うがねえ、、」と、真面目に答えていただいて嬉しかった。
巨木もさることながら
右手の特徴ある山塊にも惹かれる
山麓の「大谷」集落から見上げる
この木はなかなか太い
それにしても右手の山塊が・・
県道282号線沿いのコンビニで道をお聞きすると、「登ったことはないけんど道は残っちゅうろうか、それより猪が多いので気をつけて」とのこと。
来店中の地元の古老に巨木に見に行きたいと申し出ると、「畑をする者がいなくなり山道は麓ほど荒れているが、大木のあるあたりの道は明るいはずじゃ。自分らあも若い時分には、ようメジロを捕りに行きよった。猪いうても、手負いの猪じゃなかったら人を襲うことはない、心配は要らん」とのこと。
「大谷」集落まで来てみたが、登山口がどこやらさっぱり見当がつかない。たまたま3人でお話し中の地元のご婦人に出会い道をお聞きすると、「義盛山いうたら小学校の校歌にもありましてねえ、ここからよりも学校の方から道があったと思うが・・」と言いながら、集落の北の方までわざわざ歩いて案内していただいた。
尾根に立つ巨木が、義盛山の南にあると見当をつけてを見に来たことを告げると、「それなら、今はもう作っていないが、ミカン畑を通って尾根まで行ってみたらどうか」と、来た道を再び歩いて引き返してくれた。
「大谷」集落の奥の端から登り始める
いかにもミカン畑への道
立派な石垣も残っている
羊歯の葉の1枚1枚が写っている
いろいろなキノコが自生している
旧春野町西畑(さいばた)が東に見える
右の濃い青色は太平洋
山と同じ高さに見える
古老の仰るとおり尾根道は明るい
青色のテープも随所にある
猪の落し物
大きさからしてウリ坊かと
この辺りは歩きやすい
孟宗竹が混ざる
尾根に取りついたもよう
C地点に到着した後
勝手な思い込みで南進したが
巨木はB地点周辺だったような気がする
大きなキノコが多い
松の大木があったがこれじゃなかろう
松ぼっくりがかなり大きい
松が群生しているが松茸殿は不在
D地点に到着
古道の北手前のコルにあたる
南を見ても巨木の気配はない
松の倒木に立って周囲を見渡す
あの先まで行けばもう少し高いが
これ以上先に進むと
シーソーのようにガクんと傾きそう
なかなか
E地点に到着
古道を通り越したが
「大谷」側にも「猿喰」側にも
踏み跡は見当たらなかった
どちらさんかな?
もしやこの木かとも思ったが
枝振りが違うように思う
F地点に到着
古道の南の2つ目のコル
♪だから死ぬまで二人は一緒~
命くれない~命くれない~♪
G地点で一時停止
これ以上進んでもおそらく・・
この周辺にも
巨木はあるにはあるが・・
G地点から南を見てみる
これらも怪しいがイマイチ役不足
鹿の角に似ている
岩ではなく木に杖休め
これも怪しいのだがどこか違う
G地点から引き返す
F地点を通過
ここは少し小高い
E地点から北を見る
この付近には岩が散在
E地点から北を見る
E地点
古道の1つ南のコルにあたる
なかなか大きい松が
どうと打ち倒れてはべりしが・・
見覚えのある場所を通過して行く
ミカン畑への分岐点、C地点に戻って来た。ここまで来たらもうひと踏ん張り、「義盛山」を目指せばB地点周辺に巨木があったと思われるが、本日はこの山なみのもう一つ西、「波介山展望公園」も周遊しなければならず断念。
何をやってもいつもあと一歩が足らず、「百尺竿頭に一歩を進む」という気概がなく、残念なこと限りない。
当機は最終の着陸態勢に入り・・
旧春野町西畑を右に見ながら下山
「高森山」の先は「室戸岬」の方向
太平洋と目線が合って来た
最近は人手が入らず
自生(おのれば)えというものの
見事に実っている
右上の稜線を振り返るが
巨木の姿はどこにも見当たらない
人里が近づいてくる
午前中は右上の「義盛山」の予習
午後からは左の「波介山展望公園」周遊
登山口に戻ると、今朝道を聞いたご婦人のうち2人が出迎えてくれた。聞けば、道を教えてくれたご婦人が1人ぽつんと座っているのを見たもう1人のご婦人が、話の伽(と)ぎに立ち寄ったとのこと。
「道に迷うちゃあせんかとここで心配しよりました」とお聞きし、ひたすら深謝。「ミカンはなっちょりましたか?作りよった人が最近来んようになって」と心底残念がっておられた。
尾根に取りついて南に進んでしまったこと、巨木は北の「義盛山」側だったと思うので是非もう一度挑戦したいとお伝えしお別れをしてきた。
集落を出ようとした時、登山帰りのいでたちのご婦人が通りかかったので、巨木をご存知ないかとお聞きしたが、このご婦人も小学校の校歌に「義盛山」が登場することを話されたが、最近土佐市へ住み始めたのでわからないとのことであった。
そのやりとりを聞いていたそばで畑仕事をしていた男性が、「あそこにゃ道は無いぜよ」とポツリと呟かれたのが気になるが、今度は先ず「義盛山」を目指してみようと思っている。