東西に長い「浦ノ内湾」の西の端に、参道が海へと延びることから「土佐の宮島」と呼ばれる「鳴無(おとなし)神社」があり、強烈な縁結びのパワースポットとして、県内外から多くの参拝者を集めている。
普段はカブや車で陸側から行くところ、本日は古式にのっとり海側からの参拝。だが、これはきっと御利益があるに違いない、と考えるような手合いには、きっと神様は微笑んではくれますまい。
これまで全く無縁であった膝痛や歯の噛み合わせの不調からか、奥山に分け入る気にもならなければ、銀号での遠出も気乗りせず、遊山は開店休業の状態。本日は、路線バスと巡行船の遊山となったが、これがなかなかどうして、近年にない楽しい遊山となった次第。

古式によれば沖合から船で上陸

この石段を登り

鳥居をくぐって

拝殿へ


本殿を仰ぎ見て



参拝の後は

再び鳥居をくぐり



この参道から

海を渡って帰るという段取り

「須崎市営巡航船」に乗って、海側から「鳴無神社」に参拝したのには理由がある。
地元の小学校を卒業し、高知市の中学校に入学、親元を離れたのがかれこれ40年以上も前になる。
夏休みなどの帰省から高知市の学生寮に戻る日は、車で送ってもらうことが多かった。高知自動車道はまだなくて、県西部の旧窪川町から高知市へ国道56号線を東進するのだが、その途中にこの須崎市があった。
国道をそのまま直進することがほとんどだったが、須崎市で「横浪スカイライン」へと右折、回り道をすることを祈ったものであった。
「横浪スカイライン」入口の「鳴無」にある貝料理「浮橋」で、貝やエビを卓上バーベキューコンロで焼き、貝飯や貝汁と一緒に食べる美味しさは格別であった。須崎市内には「横浪スカイライン」への分岐点が数か所あったが、最後の分岐点でも右のウインカーが出ない日は、大いに落胆したものであった。
高知大学に入学したご子息の引越のため来県していた、県外の友人父子を案内したのがもう数年前になる。今日は古式にのっとった「鳴無神社」参拝の日でもある、四昔前にタイムスリップしてみよう。
鳥居のマークの「鳴無神社」から
海上の「浮橋」までは約1キロ
散歩にボッチリ(=ちょうど)の距離

地元のかたが建立した鳥居を過ぎると

広い駐車場のあたりから

入り江の右奥に「浮橋」が見えてくる

道嵩を上げる工事中だが、津波は・・

3つも右折禁止の警告がある
たしかに左折したくなる三差路ではある

擁壁の上に、赤、黄、緑と揃っている

「浮橋」は海上に浮かぶレストラン

はて、陸地から続くこのケーブルは?

県道からの「鳴無神社」への分岐点

「鳴無」と書いて「おとなし」と読む

「くろしお奥の院」なるほど

今なお樹勢は盛ん

懐かしい看板は昔のまま

坂を下り

橋を渡る

通称「貝盛り」
1人前なのにこの倍以上ある

ハマグリ

長太郎貝が2枚

サザ「エ」を
サザ「イ」と発音する年代がある
土佐では「エ」と「イ」は実に繊細

焦がし過ぎてしまった

ホタテと似ているが
食感が微妙に違う長太郎貝

2枚を1度に焼いたので
これまた焦がし過ぎ

女将さんからのお裾分け

春生まれのせいか
アサリとタケノコが大好物

本日の大トリはナガレコ

アワビより好きなナガレコ

南側にもう一つ座敷がある

こちらは入口の北側の座敷

たまるか1人でそれほど食べて

「ご飯物」に並ぶメニューはどれも逸品

どりゃそろそろ往(い)ぬろうか
船の時間も近くなってきた

おやっ?

「浮島」は2棟続きになっている

アケビの喰い殻が
堤防に一定間隔に放置されている
サルの仕業であろうか?

この小径の先に工房があるらしい
「少年時代の夢を追いかけて
薪ストーブ職人になった」
小野さんご夫婦の工房であると
帰宅してからネットで拝見

ぜひ一度寄らせていただきたい

素敵なご夫婦に違いない

距離は近いはずなのに
海上から見るよりずっと遠くに見える
虚空蔵山(中央奥)と蟠蛇森(左端の奥の奥)

たしかツワブキさんかと・・

こちらは自然薯殿では?

緑と赤は反対色と呼ばれ
お互いを引き立て合うらしい
そういえばマグロの赤身を包む紙は緑色

お地蔵様にお参りするためだけに
作られたと思われる階段

実がモブレついちょる

地元の氏神「荒神(こうじん)様」

榊にも実が付き始めた

右手には広大な駐車場がある
「鳴無神社」は赤い鳥居のすぐ先

「鳴無神社」に戻って来た

創建は西暦460年で
現社殿は
土佐2代藩主山内忠義公が
1663年に再建したもの

土佐山内家の家紋である
「丸に三葉柏」(土佐柏)


これはこれは
零余子(ムカゴ)殿ではありますまいか
よくぞ今日まで御無事で

社殿の少し東には
雰囲気の変わった森がある

拝殿正面から見て


右手奥には古井戸がある


こちらは拝殿に向かって左から見る本殿


とても葉数が多い紅葉

能の舞台のような幣殿

本殿はなかなか荘厳

こんなところにも「土佐柏」

神事に使われると思われる道具


墓所に決めた里山「三ノ丸」も、近所にある「薫的神社」も、そしてまたこの「鳴無神社」も、土佐藩2代目藩主山内忠義公のゆかりの地。袖振り合うも他生の縁、躓く石も縁の端、これもまた何かのご縁かもしれない。

それではそろそろお暇いたしましょう

海へと続く参道へと進む

歩いて行けるのはここまで
海中にはあと何段ぐらいあるのだろう

この菜っ葉は食べれますろうか

西に見えているのが乗船場

堤防の裏は広い車道だが
試しに堤防のヘリを歩いてみよう

途中で振り返りみる参道鳥居前

もう少しで乗船場
乗船場は潮の干満にあわせて
階段状になっている

何のことはない
歩いて来られた

おやっ?

基準点「鳴無海岸」と刻まれている

北岸の「横浪」から
波を蹴散らしやって来る巡航船

船着場の前では「スロー」モードに

この傾きが堪らない

往路はお遍路さんが1人乗っていたが
復路はチャーター船のもよう

床と昇降ステップは同一色

あまりに気持ち良くついうたた寝
復路の写真はこの1枚のみ

「宇佐大橋」が近くに見えてきた
まもなく終点の「埋立」

桟橋へゆっくりと接岸する

往路最終便にそなえる巡航船

「浮橋」で食事を済ませお勘定を済ませようとすると、「巡航船が出るまでまだ時間がある、お茶を飲んで話をしていかんかね」と声をかけていただき、「鳴無神社」の縁起や、「巡航船」にまつわること、「浦ノ内湾」の貝や、1つ山を越えた太平洋側の磯遊びの話、等々、とても興味深い話を沢山聞かせていただいた。
実は、2017年6月にブログにアップした「横浪三里」で、皇室関係者がお忍びで「鳴無神社」に願掛けに来られた直後に、さる高貴なかたが「ご懐妊」、と書いたが、正しくは「ご成婚」であった。そのようなわけで、お聞きした話をいくつかご紹介したいのはやまやまだが、間違いをお伝えしてはいけない。ぜひ「浮橋」に御食事に立ち寄られ、女将さんたちの話を聞いてから「鳴無神社」にご参拝を。