神池(旧物部村)
2017年 05月 20日
「上韮生」の中で、安丸、黒代、神池、楮佐古の旧村には、八十八体の石仏が設置され、四国八十八ケ所巡拝の代わりとして明治元年より参拝されていたという。
山上に忽然と現れる、その名も「神池」の集落。「男池」と「女池」を配する天界の集落を、久し振りにリトルカブで走ってみた。
「塩の道」は「絵金のまち赤岡」から
「いざなぎの里物部」へと続いている
きっと山自体が信仰の対象に違いない
ここで県道49号線に左折
「別府峡」までの間が路側崩壊らしい
スケルトンでないのがありがたい
一刻も早く戻ろう
純信とお馬の駆け落ちの道
「林道楮佐古松床線」
いつ見ても渋い案内板
「林道楮佐古小桧曽線」
「福泉寺」には
合計29の石仏があるそうだが
警備が厳重で参拝は控えた
石仏があるはずだが・・
道標がないので要注意
ここにも山中に突然
ナロ(奈路)い場所が現れる
真ん中やや左に
一際高い杉が見える
運航は電話予約で日に3便
案山子がたくさん飾られている。それはそれはリアルな案山子が、そこかしこに大勢いる記事を見たことがあるが、あれは期間限定のイベントであろうか?
徳島県の「名頃」集落の「かかしの里」に、勝るとも劣らぬ光景であった。
こちらは西側で
第4番~第20番と
第54番~第63番
上池村、下池村、神通寺村が合併
一字をとって明治9年に
「神池村」にしたらしい
挙句の果てにそのまま真下の
「平井」集落へ下山してしまった
途中この三差路で右折してしまった
予定コースの後半が抜けてしまった
完全に抜け落ちてしまった
「男池」の近くで、かつて「韮生八十八ケ所」の世話役をしておられたという、地元男性のお話をきかせてもらう幸運に恵まれた。
十年ぐらい前には道標を随所に配置し、地域おこしの一環として取り組んでいたが、住民の高齢化にともない次第に手が回らなくなってしまったとのこと。
最近では、主に「大日寺」の境内に、点在していた石仏を集めるようになり、元あった場所に無い石仏がすでにいくつかあるとのことであった。
この「大日寺」は、四国霊場第28番霊場「大日寺」(「のいち動物公園」の北)の奥の院と云われ、かつては七堂伽藍を配置する大寺で、周辺には300人ほどの僧侶がいたという。
何年か前にパンフを置いていたらしい。
詳細が分かれば巡ってみたいが…。
・男池から大倉山山頂及び三角点
・槍水廃集落から三宝山三角点(御本尊は、麓に降ろしてある。)
・亀ケ峠から黒代三角点
一時期凝った地域だ。
(人形・マネキンが一切うpされてなかったが、撤去されたか…。)
リンク先:不思議だ。詳しく知りたいが…。
「黒代」三角点は、行き止まりだった「亀ケ峠」の民家の先に見えていた小高い丘でしょうか。また、「槍水」集落に鎮守の森があり神社が2つありましたが、「三宝山」のご本尊はもっとさらに麓集落まで下向されたのか、また、「大倉山」三角点のそばにある神社のマークと大きめの建物は名のある神社でしょうか。コメントをいただくたびに次から次へと興味が広がります、いつもありがとうございます。
奥物部では、山登り、林道巡り、滝巡りと、随分と遊ばせてもらいました。「楮佐古小檜曾林道」へは「奥神賀山」と「京柱峠」に、「林道楮佐古松床線」へは「よさこい秘話」と「八京峠」に誘われて出かけたことでした。
同じ「楮佐古」と名がついても、「楮佐古小檜曾林道」はロングダートで、「林道楮佐古松床線」はショート舗装路。「林道楮佐古松床線」は、「吉井勇記念館」から「永瀬ダム湖」の北側を、「松床」から「楮佐古」へと山越えするルートで、途中の「八京峠」からは「白髪山」を間近に見ることができます。国道195線の迂回路として、ぜひご利用下さい。