御在所山(旧香北町)
2016年 11月 12日
そもそもこの香北の地は「いざなぎの里」、「高板山」は「皇の居た山」、「大屋敷」は「王の屋敷」、「大久保」は「大公方」が轉じた地名とのこと。
「御在所山」の古来の登山道は、ピンク色の車道を「梅久保」から「大屋敷」へと進み、「木馬(きんま)茶屋」から植林の坂道を登り、通称「相撲場」を経由して山頂まで登る、黄色の「大屋敷参道」である。
国道195号線「太郎丸」から見る山容
「アンパンマンミュージアム」
「一升瓶のフタ」10個110円也
「大荒の滝」を目指す
「新在所橋」
「物部川」に架かる橋は総じて高い
上流の眼下に吊り橋
下流の杉田(すいた)ダム方向
右奥に独特の山容の「御在所山」
「大荒の滝」案内図
ここまで来たら
この標識を右に見た後
「谷相林道」を「梅久保」集落へ切り返し
案内板のある三差路を右へ直進
案内板はこちら
擁壁にわかりやすい道標
「林道御在所線」とある
ここには「御在所林道」とある
「梅久保参道」の碑
「大荒の滝」手前の大屋敷にある、「木馬茶屋」の北側からの古道が「大屋敷参道」で、昔からの「御在所山」の登山道でもある。
花梨の木
快適な林道を約5キロ登る
途中にも登山口があるが深謝して辞退
鳥居前広場の通称「相撲場」に到着
鳥居をくぐる参道が登山道
賽銭箱
たしか南海地震で壊れて以来
針金で補修しているとかいないとか
山頂の「韮生山祇神社」を目指す
のっけから急な石段が続く
正面に「夫婦松」が現れるが
おそらく夫が先立っている
左の近道は岩屋の水場を通らない
岩屋の奥には石塔がある
文政7年は1824年
レトロな「登山道」の道標
ベンチのある展望の良い尾根
ここからが有名な「尻見坂」
前を行く人のお尻しか見えない
急な石段が続く
勾配はきついが
ロープのおかげで意外とラク
紐の括り方はシンプル・イズ・ベスト
あっけなく登れる
登り切って振り返り見る
「入山安全祈願所」とある
手水鉢がグッド
「金峯神社」「富貴神社」の2柱
是非ご利益にあやかりたい
再び石段の道に
狛犬の先に
「大日如来」
相当な異骨相(いごっそう)とお見受けする
おやっ?
右の鷹には首がない
誰の仕業ですぞ?
連れ合いが寂しそうじゃいか
お痛わしい
手水鉢に刻まれた文字が読めない
「千原神社」の石塔群
「四国八十八か所」が刻まれている
西へ少し進むと
「千原神社」本殿?
再び参道に戻る
頂上近しの予感
こちらは大丈夫だが
こちらには燈明がない
これまた痛々しい限り
いよいよ参道の雰囲気が増す
2重の鳥居
本殿は北西を向いている
「石鎚山」遥拝か?
「韮生山祇神社」本殿
「奥物部連山展望所」は
本殿の左横を北側へ回り込む
実に立派な普請
「御在所山」山頂
小さいケルン
展望所から遠望する「土阿連山」の眺め
この山は「四国百名山」の一座
中央の大三角が「白髪山」
その右に「剣山」「次郎笈」へと続く
なぜかヤカンが
土佐と阿波の分水嶺
「牛ノ瀬」「天狗塚」「三嶺」「綱付森」「カヤハゲ」「白髪山」「剣山」「次郎笈」「中東山」、名立たる名山が指呼の間にある。
案内板の裏書き
大きいケルン
山名板が乱立
なぜか柄杓がここに
すべからく勾配が早い
「千原神社」を通過
「尻見坂」を通過
南国市と高知市の浦戸湾が見える筈・・
近道が右下に
赤テープもあるが
左下に道なりに進まないと
この切り返しの先の
水場を素通りしてしまう
「夫婦松」を通過
分断された幹
「夫婦松」をあとにする
通称「相撲広場」まで下山
これが土俵の跡
林道はさらに北に延伸中か?
土俵下から見る鳥居(大正13年建立)
新旧のベンチ
お見事としか言いようがない
国道195号「蕨野」のカーブ
「梅久保」集落にある遥拝所
三差路まで戻さってきた
ありゃ
「在所橋」
夕日に映えるプレート
「吉野ダム湖」
橋はスケルトン
旧土佐山田町の「宮ノ口」
『高知遺産』の「お急ぎスーパー」は健在
今日は、山頂の展望所で、素敵なご夫妻に出会うことができた。
石鎚山系の山行が多く剣山系では「白髪山」と「塔ノ丸」しか登ったことがなく、目の前に広がる「土阿連山」の山座を決めかねている小生に、ご夫妻は懇切丁寧に、しかも実に的確に山名を教えて下さった。
経験豊富なお二人は、きっと山岳愛好家によく知られたご夫妻だと感じられた。いつかまた、どこかの山でお目にかかりたいと願いながら山頂を後にした。