高知自動車道跨道橋(高知IC以東)
2016年 07月 17日
裏を見せ表を見せて散るもみじ、西があるから東がある。曇り空が気になったが、サウナ風呂のような無風の日曜日、高知IC以東の跨道橋を巡回してきた。
【1st:一宮西跨道橋】
高知IC入口を一宮(いっく)方面へ
「太古橋」を左折し川に沿って北上
高知道の本線をくぐる
前方に「一宮西跨道橋」が見えてきたが
左の蛇を踏みそうな道を歩かねばならぬ
橋名板はあるがプレートは?
上り線(東行き)
下り線(西行き)
南詰
草がこちらに向かって来ている
枝にも葉がある
なかなか毛深い
この2つだけが電線で繋がっている
土砂崩れの観測装置か?
【2nd:一宮東跨道橋】
本線北側の側道を東進し
「一宮東跨道橋」北詰に
上り線(東行き)
下り線(西行き)
南詰
「一宮西跨道橋」よりはマシだが・・
ここにはプレートがある
北側を見る
跨道橋の北にあるトンネル案内板
橋げたが黄色い
本線直下に『四国のみち』の交差点
スリムな橋脚
【3rd:蒲原跨道橋】
佐川急便を左に見ながら「逢坂峠」を下り
高知道本線をくぐる手前を右折
本線南の側道を東進
ここはプレートが足元にある
上り線(東行き)
下り線(西行き)
南側を見る
【4th:笠ノ川跨道橋】
国道32号線に戻り「白木谷」方面へ
正面に本線の高架橋
下り線の標識に見覚えあり
この橋の橋脚は太い
ほぼ道幅ぐらいの幅がある
くぐったらすぐに右にV時に切り返す
南詰に一気に駆け上がる
うんうん見覚えがありますぞ
北側を見る
こらっ壊いたらいかん
けんどどうやったらそんなになるよ?
ここのプレートも足元にある
上り線(東行き)
下り線(西行き)
北側の側道を下る
正面からは見えるが
横から見ると真っ暗
幸いと使ったことはないが
扉は進行方向側にある
【5th:領石第三橋】
こんな高い所(く)で仕事はようせんぜ
写りきっていないがまだまだ上がある
はいはい見覚えありますぞ
近くで見ると案内板は存外広い
南側を見る
上り線(東行き)
下り線(西行き)
「南国SA」の案内板が見えている
ここは橋名板のみでプレートはない
【6th:領石第二橋】
本線を左下に見ながら降下を開始
「南国IC」への進入路をくぐり
次に本線の高架橋をくぐる
北詰に到着
欄干は鉄製
上り線(東行き)
北側を見る
プレートは足元にある
下り線(西行き)
バスの背中の形状は実にさまざま
北側の側道を東進する予定が
夏草に行く手を阻まれる
歩いてみるとわずかの間だが
さらにその先にも夏草のブッシュ
蛇を踏みそうなので断念
「第二橋」と「第一橋」の中間にいる
ひとたび来た道を麓へ下る
【7th:領石第一橋】
途中の「領石」集落に「大塚御殿跡」
ここはかつての参勤交代の道
土佐二十四万石、山内(やまのうち)のお殿様の参勤交代の道は、現在の「高知自動車道」と重なっている部分があって興味深い。
この「領石」をはじめとして、四国の屋根「四国山地」の山中には、「立川」や「馬立」など、当時の街道筋の地名がそのままPAの名前として使われている。極めつけは、名峰「笹ヶ峰」の山頂直下を貫く「四国の風穴」の「笹ヶ峰トンネル」。
一度だけ「笹ヶ峰」に登ったが、さすがは参勤交代の道、石畳が見事であった。この山を、お殿様たちは駕籠に揺られて越えたと伝えられているが、担ぎ手も大変なら、乗っているのも苦行に近いものがあったに違いない。
県道5号線も、高知県の大豊町からこの「笹ヶ峰」を越えて愛媛県新宮市へと続いている。途中にある「霧の森」の「霧の森大福」が美味しいと聞き、リトルカブではるばる買いに行ったことがある。
「霧の森大福」は冷凍で販売されているので、バイクの荷台に括り付けて高知まで陸送すると、帰り着いた頃には丁度の塩梅に解凍されるという筋書きであった。夏の暑い日であったが、はたしてボッチリの硬さに溶けていて、実に美味しかったことを懐かしく思い出す。
「領石川橋」の付け根で左にV字ターン
南詰に到着
ここにはプレートがない
上り線(東行き)
下り線(西行き)
何かを吊るしている
なるほど
【8th:才谷第二橋】
国道32号線に戻る
ローソン前はゴルフ場への分岐点
正面に先ほど見た本線「領石川橋」
坂本龍馬ゆかりの地「才谷」へ
前方に鳥居が見えたら左にV字ターン
農道をひたすら登る
南詰に到着
上り線(東行き)
ここにも懸垂式の装置がある
下り線(西行き)
なかなか念入りな造作
石段を鉄筋で留めている
初めて見た
よく見かける橋の付け根の工法
次の「才谷第一橋」へ行くにはコツがある
農道を麓に戻る
右上から降りてきた
季節を感じるユリの花
どちらが先にあったものか
電柱や電線が田んぼの中にあり
そこだけ苗が植えられていない
手植えして手刈りすればとも思うが・・
鳥居前を左折すると「才谷」だが
本日はここを右折して
高知自動車道と
パシフィックゴルフクラブとの間を
登って行く
折しも「天行寺」への道案内
14番あたりか
「大豊15」トンネルをくぐり本線の北へ
10番~11番あたりか
この標識も見覚えあり
「大豊15」をくぐりT字路を左折
2度先輩に連れて来てもらった
本線北側の側道を高知方面へ戻る
ありゃ、行けざったかの?
このぐらいなら問題なし
【9th:才谷第一橋】
北詰に到着
プレートはない
車両止めがある
欄干は鉄柵になっている
今日はよく見かける
上り線(東行き)
下り線(西行き)
南詰
(プレートのチェックが抜かる)
こりゃ行かれん
絶対何ぞが居(お)る
元はこうだったものが
ストンと落ちたらしい
足元に枯れた蔓のとぐろがある
微妙なタイヤ痕
等間隔は車間距離確認板か?
路側に人知れず咲く花
横断歩道ではありませんぞ
下って来た道を今度は上って行く
側道が本線よりも高い
「大豊15」トンネルまで戻り
ランチタイム
現在地をチェック
アップダウンを繰り返す側道
♪ざわわあ~ざわわあ~♪
「大豊14」トンネルには落書き補修跡
【10th:高原橋】
【天行寺周辺】
「才谷第一橋」から「高原橋」へ行くには、いったん国道32号線に戻り、「領石(りょうせき)」から「根曳(ねびき)峠」へと登り、峠の下の「成合」で「天行寺」へと右折し降下するのが最も判りやすい。
が、国土地理院の地図で予習をしていると、「大豊15」トンネルから側道を北上し、「天行寺」へと抜ける道(水色)を発見。
そのまま「高原橋」までは行けない、というところにいっそう心惹かれ、これはもう行くよりないと走ってみたが、それはもう立派な道で、大いに時間短縮にもなった。
しばらく本線から北西に外れる
この分岐は左折
右上から下りてきたことになる
ここは道なりに右へ
「番所跡」とある
峠に到着したら「土佐山田」(右下)へ
領石(右下)から登ってきて
土佐山田(左下)へ降りて行く感じ
左端に気になる看板
「樹間カフェレスト銀嶺」とある
「香南平野」越しに太平洋が見える
帰りに寄ってみよう
途中に12と13があったらしい
いつのまにか「大豊11」トンネルに
トンネルの手前を左折して北詰に
上り線(東行き)
横風が強い「入野橋」も本日は無風
ソヨとも言わぬ蒸し風呂状態
南詰から先にも道はあるようだが・・
下り線(西行き)
見覚えある「天行路樹林」の看板
シブい郵便受け
カフェに立ち寄ってはみたが、スリッパに履き替えて扉を開けた瞬間、先客はすべて若い女性グループでほぼ満席状態。一つだけ大きなテーブルが空いていたが、小生の後に入店してくるこれまた若い女性グループにお誂えの席。
勇気を振り絞って一人だと伝えたが、一人用のカウンター席はなく、店のかたも申し訳なさげに困惑顔。また来ますと告げて店を出たものの、よくよく考えると、空気を読まなかった当方に問題がある。
うら若き乙女たちがコーヒーとスイーツを求めて集うカフェに、作業着の上に首にタオルを巻いたオンちゃんが、グローブを脱ぎながら入っていってはいけない。
峠まで戻り国道32号線へと向かう
「木番所跡」とある
南国市外山(とやま)の集落
「根曳峠」越えには
信号のある交差点がある
なるほどここへ出るのか
バイク乗りの休憩場所
「成合天行寺公民館」前
「根曳峠」直下の大カーブ
「峠の茶屋」跡
海抜395m
ここを境に天気が変わる
【11th:松岡山橋】
峠を見たらUターン
大カーブを「ニューわかみや温泉」へと左折
しばらく下ると「曽我部トンネル」
これまで見た跨道橋では最大
片側1車線でセンターラインあり
ここにはプレートがある
金網のフェンスが高い
よじ登って撮った
上り線(東行き)
金網のフェンスが間切る
よじ登って撮った
下り線(西行き)
ぜひ登りたいが関係者以外立入禁止
緩やかなカーブを描く「曽我部川橋」
「曽我部川橋」北詰に接近
「若宮温泉」から見上げる「曽我部川橋」
なかなか立派
高知自動車道は、愛媛県の「川之江JCT」までなので、「松岡山橋」からさらに先にまだ2つの跨道橋がある。
1つめは「川之江東JCT」で「徳島自動車道」へと分岐する手前の「中山跨道橋」で、2つめが「川之江JCT」で「松山自動車道」へと合流する手前の「飼谷橋」である。
これらも含めて、すべての跨道橋の上に立ちたい気持ちはヤマヤマなれど、何せリトルカブでの巡行には時間に限りがある。
偶然にも、明日は車で「徳島自動車道」を走ることになっているので、「中山跨道橋」は本線から撮影可能。
そもそも『茶凡遊山記』は高知県内の遊山をメインにしていて、残る2つは愛媛県の跨道橋だしと、得手勝手な理由を付けて本日はこれにて撤収。
【12th:中山跨道橋】
川之江東JCTの手前本線からの
上り線(東行き)
本線からの
下り線(西行き)
正面に「笹ヶ峰」への稜線
【13th:飼谷橋】
今回、高知IC以東を巡回して気付いたのが、いくつかの跨道橋で、架橋日や工法を刻んだプレートがなかったこと。
高知IC以西にはすべてあったように思うが、橋の名前を刻んだ横書きのプレートはきちんとあったので、よもや盗難に遭ったものではあるまい。
雨の日などに、横書きの橋名板から特殊な成分が滲み出て、あたかもその下のプレート板が剥されたように見えるだけなのか?
何か理由があって撤去されているのかもしれない、どなたかご存知のかたがいたら是非ご教示いただきたい。
http://ancient-megalith.info/?p=1063
松岡山橋の しばらく下ると「曽我部トンネル」の写真の150m手前 温泉の看板・ポスト・白い立て札の所
http://kuroma.k-server.org/paradise/yamatai/yamatai1.htm
『廃墟探索地図』さんの
http://haikyo.crap.jp/s/1196.htmlのページの、先頭の画像が、
「イジメもやまる日本発祥の地 平和日本お誕生ご所 倭華宮 日本のルーツ・ヤマトの国センター とき若宮蓬莱山耶馬台国センター」への入口で、この場所が「曽我部トンネル」の北西にあり、
「イジメもやまる日本発祥の地」は、国土地理院地図の「高原橋」の南東、326.4m付近でしょうか?
Googleマップのストリートビューで、入口らしい場所を「松岡山橋」の北西150m付近に見つけました。
「邪馬台国センター」は、国土地理院の1/25,000地図で、県道入口から約50m北にある神社のマーク付近でしようか?
ポストがある入口を登るとすぐに事務所跡があり、そこから北に登り、望遠鏡のある広場を西に行きます。
ポストのある入口から道路沿いに少し西に行くとトイレがあり、そこから西~東(北)に登る事もできます。(逆回りコース)
約2000m2と思う。
高原橋西の三角点付近は、造った人は同じですが、また別の目的と思われる。(巨石信仰・ミニ88ヶ所巡り)
尚、温泉の裏(南)の赤い?橋を渡った所?に洞窟があるらしいが、奥のPに進入禁止のロープが張られている。
http://vacant-sky.jugem.jp/?eid=661
「イジメもやまる日本発祥の地」、「高原橋西の三角点付近」、ネット上の情報と併せてよく理解できました。
そして、今回の「龍馬洞」についても、全く知らなかった情報を毎回ご提供いただきありがとうございます。
それでは早速もう一度訪ねて実際に我が目で、と申し上げたいところですが、何分にも蛇と雷が一の苦手の小生は、大先達のホームページにしばしば登場する蛇にすっかり意気消沈、どうにも足が向かずなずんでいます。
それにしても、これが名は体を現すというものか、「高原」や「曽我」という地名からしても、このエリア、なかなかミステリアスでした。
いつも授業の前に、「何か質問はありませんか?」と生徒に語りかける中学の時の現代国語の先生が、「邪馬台国は高知にあったらしい」と話してくれたのがすでに四昔も前。懐かしく思いだしました、ありがとうございました。