高知県営渡船&五台山(高知市)
2016年 04月 17日
現在は「浦戸大橋」が架かっているが、平成14年にこの橋の通行料が無料になるまでは、片道5分ほどの県営渡船の利用も多かった。
そしてこの航路は、四国霊場第32番札所「禅師峰寺」から第33番札所「雪蹊寺」との間にある、『海の遍路道』でもある。
「桂浜」の西
「花街道」前の海岸
天気晴朗ナレド波高シ
アカウミガメが産卵のために上陸する
「一領具足」の「浦戸一揆」跡地
『長宗我部家の後継として土佐を与えられたのは山内一豊だったが、長宗我部家の遺臣団は新領主の登場を必ずしも歓迎しなかった。竹内惣右衛門を中心とする一領具足は、浦戸城の引渡しを拒否し、盛親に旧領の一部(土佐半国という)を与えることを要求した(浦戸一揆)。山内一豊は弟の山内康豊を鎮圧に派遣。遺臣団側は浦戸城に篭城して抵抗したが、城内の裏切りによって開城、降伏した。273人の一領具足が斬首され、その首は塩漬けにされて大阪の井伊直政のもとへ送られたという。』 by ウィキペディア
今日は「桂浜」には立ち寄らず、「桂浜大駐車場」前を直進、「浦戸」「長浜」を経由し「御畳瀬(みませ)」へと旧道を進み、「浦戸湾」の西岸を北上するイメージ。
「よさこい節」に、
♪御畳瀬(みませ)見せましょ
浦戸(うらど)を開(あ)けて
月の名所は桂浜♪
と唄われる場所が、今日のルートとなる。
「浦戸」から南に見える「浦戸大橋」は、1万トン級フェリー「さんふらわあ」号がくぐれるように、橋の最頂部は約50mもある。
平成13年頃かと記憶しているが、サンフラワー号でもなく、さんふらわー号でもない、「さんふらわあ」号の、「東京~那智勝浦~高知」航路が廃止された。
それからまもなくの平成17年、「大阪高知特急フェリー」も廃止された。『高知と大阪を、毎夜9時20分にせえのおで出発っ』、テレビCMが懐かしい限り。
船着場に見えるが立入禁止
確かにかなり老朽化している
「長浜」の中心地に道案内
バス停の名前にも「渡し場」とある
「御畳瀬(みませ)」漁港へ寄り道
「御畳瀬」の干物は有名
なかでも「メヒカリ」はピカイチ
今日は「オキウルメ」が干されている
「長浜」船着場は「浦戸湾」の西岸
待合所が設けられている
航路は「県道弘岡下種崎線」の一部にあたり
人も二輪車も料金は無料
対岸から到着したフェリーは
スクリューを回したまま錨は降ろさない
船名は「龍馬」
船内見取図と案内板
県営渡船は、船着場に到着した向きのままで再び対岸へと出船する。つまり、左舷がいつも航路の北側になるということになるが、してみれば、この船のスクリューは可変ピッチプロペラであろうか?
船内見取図のズームアップ
いかにも船らしいパーツ
網も積んでいる
渋すぎる
出船前の船首側の操舵室
県営渡船は、人と自転車および125CC以下のバイクが利用できる。『銀号』にはしばらくエンジンをかけていなかったが、騎手の減量に大いに気を良くした相棒は、この日は実に軽やかに疾走、フェリーの甲板で潮風にあたりながらしばしの休憩。
運航中の二輪車の運転手には
自らの二輪車の横に立ち
相方を支え持つ義務が課されている
浦戸湾に出てすぐの左手は
高知市「五台山」方面(北東)
右手には「浦戸大橋」(南西)
振り返り見る「長浜」船着場
わずか数分で対岸の「種崎」船着場
近付いてくる岸壁
海上のゴミ撤収用
航路は地図の中央
「浦戸湾」入口の両岸を結んでいる
大橋は航路のやや右下
太平洋と浦戸湾のほぼ境目
「桂浜」の北に位置する
※中央の道路に見える線はガラス割れの線
出船後は津波に備えて閉門
「仁井田新築」の造船所
「浦戸湾」の東岸に渡ってしばし北上、第31番札所五台山竹林寺への参道に入る。
この日は、西から東に反時計回りなので、四国霊場八十八か所の札打ちの順で言えば「逆(さか)打ち」となる。
「五台山竹林寺」への参道
植物学の巨星
牧野富太郎翁の植物館があるだけに
側道の擁壁にも各種の植物
花泥棒は罪にならないと
勝手に思い込んでいたのだが・・
山頂展望台周辺はツツジが満開
NHKのテレビ塔
浦戸湾の「桂浜」方向(南)
「鏡川」に沿って高知市中心街(西)
北西から迂回してくる久万(くま)川
小津神社(洞ケ島の近く)にあった絵地図
「五台山」から西を見ると、高知がかつて河内と呼ばれていたことがよく解る。「鏡川」と「久万川」、2つの河の内にできた町、「かわうち」から「かわち」、さらに転じて「こうち」となり、「高知」の字をあてたらしい。
小津神社にあった約1千年前の高知市の想像図によれば、現在の高知市街地の大半は浦戸湾であり、言われてみれば市内には、比島、洞ケ島、葛島、竹島と、「島」の付く地名が多く、高知城のある大高坂山もまた一つの島であったという。
昔のアベック
今のカップル達の聖地
2基の望遠鏡
かつてこの「五台山」にはロープウェイがあり、観光客は麓から山頂までロープウェイを利用することができた。
現在は当時の施設の一部は、地元で約20店舗を展開する外食企業によるカフェ、「パ・ノ・ラ・マ」となっている。
店内には熊の剥製の他にも
様々なオブジェが置かれている
毎年春のGW前後に、山頂広場で開催される「古本市」で掘り出し物を見つけた後、この店のお気に入りの西側のカウンター席で、レジ袋から取り出した古本を眺めるのが愉しみの1つ。
庭園の中には2本の遊歩道
岩ですか?木ですか?
バスの通過を知らせる仕組み
アナログ感がベリー・グッド!
「竹林寺」の西入口
関係者以外進入禁止の柵が
今日は抜かれている
本堂や五重塔だけに行くのなら
この西入口からが近いが
竹林寺の醍醐味である
庭園を楽しむには
やはり東の正門からが良い
すぐに五重塔が右手に見えてくる
それでは庭園を通り山門へ
「五台山竹林寺」は第31番札所
見事な山門
再び本堂へと戻る
「一言地蔵」の横を「五重塔」へ
京都や奈良にもひけを取らない佇まい
天と地をつなぐ避雷針
この高さだけにアースを取っている
迫撃砲にあらず消火砲
本物かと見間違う鳩
本日のテーマは「海の遍路道」のはずが、いつもの癖であちこちに道草をしてしまった。
四国霊場八十八か所の巡礼の方法に、「歩き遍路」がある。すべての札所を歩いて廻ると、距離にして1200~1400キロ、40~50日かかると言われている。
第32番禅師峰寺から第33番雪蹊寺の間には浦戸湾があるために、たしかこの渡船で対岸に渡っても、「歩き遍路」として歩いたとみなされる、と聞いたことがある。
似たような「海の遍路道」が、第36番青龍寺から第37番岩本寺の途中、横波半島の北にある「浦の内湾」の「巡航船」航路である。
この区間には主に3つの遍路道があるが、「巡航船」こそが本当の遍路道、との記事を見たことがある。
こちらの船旅は、片道約1時間、終着港の近くには霊験あらたかな「鳴無(おとなし)神社」もある。いつもは陸上から行くけれども、たまには舟遊びも楽しそうである。