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茶凡遊山記

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五在所ノ峯(2/2)【復路】(四万十町)

「足摺岬」と「室戸岬」、高知県の両翼を一度に見られる「五在所ノ峯」から、2つの岬をパノラマ・モードで撮影したいと、山頂からさらに東へと進む。

「五在所ノ峯」の山名は、かつてこの地を支配した「仁井田五人衆」の領地であった、東、西、窪川、西原、志和の5つの在所を指していると言われ、5つの在所(人里)を一度に見渡せたことに由来するという。

 たしか小学校の郷土の副読本に、そのたぐいの話が載っていたように思う、引っ張り出して読んでみよう。

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手水鉢が見えて来た
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「山伏修業場」は尾根筋にある
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登山口の生コン工場が見える
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いかにも山伏の修験場らしい祠
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『南路誌』には、「文武天皇大寶の初年に役小角土佐に来りて、清浄無垢の峠にて小角来りて国家鎮護の修法せし所なれはとて、高岡・幡多二郡の山伏集ひ来りて先例の護摩有とそ」とあるようである。

 が、いまに思えば、四国八十八か所第37番札所「岩本寺」の門前町でありながら、町内に大きな神社仏閣が少ない町である。


千日回峰のイメージ
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米軍機哨戒所はあの先か?
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 窪川町内から見ると、最高部のやや左(=東)に、そこだけ樹木がまばらな尾根がある。

 その眺めは少なくとも40年前からずっと同じで、あそこはいったいどんな場所だろうかとずっと思ってきたが、今日はやっとその答えが解った。

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「興津岬」の半島
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これは山が深い
小学校の遠足の時も
興津の浜へは遠かった
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ベタ凪ぎの太平洋
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どこまでが海でどこからが空か?
「大海原」という言葉がピッタリ
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上空は国内線の航空路
ひっきりなしに航空機が通過
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5番キットカットに代わりまして
代打ダース背番号8
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「金上野」や「大井野」の集落は見えるが
「窪川町」の中心街は見えない
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 ここが「米軍哨戒所跡」、太平洋戦争時に本土に襲来する米軍爆撃機、B52を見張っていた場所。

 よもや竹槍で迎え撃っていたわけではなかろうけれど、技術的にはこれはもうすでに敗戦色が強い。

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麓の集落でお昼のサイレンが鳴った
腹が減ったので尾根道を下山開始
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たしか「山伏修業場」かと?
文字も次第に薄れがち
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山頂広場まで戻る
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山頂のすぐ下に「人像描画石」
人工か自然かご鑑賞下さい!とある
この山には他にも
磨崖仏と思われる場所があるらしい
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「足摺岬」方向(=西)を望む
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「足摺半島」が見えている。この「五在所ノ峯」は、一座から「足摺岬」と「室戸岬」が同時に見られる、というのが人気で、登山口の大看板にも山頂の東西に両岬が描かれている。

 あちこち捜し回ったが、最近はヤブがほこってしまったのか、両岬を同時に見られる場所はなかった。以前のこの山の記事を見て、素晴らしい眺望を期待して登頂すると、少しばかり期待外れかも知れない。

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むしろこのロープは
「下り」のためにある
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地籍調査用か?このペンキはちょっと・・
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たぶん石鎚山の方向
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なんぞが巻き付いていたらしい
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白鹿に見える檜の風倒木
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これもなにかが巻き付いていた跡
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下りでロープがこれほど助かるとは
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コラッ、食べくさしたらいかんっ!
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ここまで戻って来た
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どうも赤ペンキはいただけない
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木々の間に山頂が見え隠れ
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「スノキ」は聞いた事がある
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年季が入った緑のコート
襟元には同系色のブローチ
なかなかシャン(お洒落)なねえ
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「コジイ」の大木
椎の木が小さいのではなく
椎の実が小さい
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あなたが「ユズリハ」でしたか
お顔はよう知っちょりますぞ
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登山道の整備は
すでに15年も前になる
雑木がほこるのも無理はない
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登山口に三椏(ミツマタ)の木
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どこまでも3つに枝分かれ
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「カロウトウ林道」に戻る
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いずこも深刻なイノシシの被害
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登山口まで下りてきた
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登山口で振り返りみる山頂
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 ここ四万十町(旧窪川町)は生まれ故郷で、中学校から高知市で寄宿舎生活をするまでの間、おもに小学6年生までを過ごした。

 JRがまだ国鉄だった頃、窪川は西播地方への交通の要所として、多くの人々の往来があった。やがて、町を二分した原発誘致騒動の後、営林署、四国電力、電電公社が次々と撤退するにつれ、町はどんどん疲弊し、今では当時の繁華な面影はない。

 海抜200mの霧の町は、擂鉢状の台地になっていて、夏は猛烈に暑く、冬はとてつもなく寒い。下山後に急に天気が落ちたので、余計に寂しい画像となったが、いくつか紹介しておきたい。


通称「テレビ塔」への途中から見る
窪川町の中心街
中央の小山は琴平神社
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コブテで野鳥を獲ったり
ヤマイモを掘って遊んだ
実家の裏山からみる
「茂串山」(手前)と「五在所ノ峯」(左奥)
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自宅の2階や通学路から
おそらく毎日目にしていたであろう
「五在所ノ峯」
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 国土地理院の地図では「五在所ノ峯」と表記されているが、子供の頃に周囲の大人たちは、「五在所山」あるいは単に「五在所」と読んでいた。

 「五在所に莚打ち(ムシロウチ)がかかったぜ、早う洗濯物を取り込まんと濡れるぜえ」

 ムシロウチとは、遠くの山などを背景に、早雨(サダチ)などの降り始めの雨が、スダレを横にたわませたように近づいてくる様子を言った。川で泳いでいても、ムシロウチが頻繁に襲来したが、サダチであることが多く、たいていは直ぐに雨は止んだ。

 真っ黒い雷雲と一緒にやって来るサダチを、川で泳ぎながらやり過ごした後、水中からイチガン(一眼)と呼んでいた水中眼鏡で見上げた川岸の竹の笹が、真っ青に戻った空をバックに水面に揺らめいて見えていたことを、昨日のことのように思い出す。


by ky_kochi | 2016-02-07 11:00 | 登山 | Trackback | Comments(2)
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Commented by タメやん at 2016-02-17 20:52 x
>窪川町内から見ると、最高部のやや左(=東)に、そこだけ樹木がまばらな尾根がある。

地形図では、どこら辺ですか?
Commented by ky_kochi at 2016-02-18 09:58
 国土地理院の地図で、五在所ノ峯のピーク658.3mの北東にある、ピーク574mの南南西の奈路い場所(米軍機哨戒所跡)の手前かと思われます。

 五在所ノ峯の山頂からすぐ東の尾根道には山伏の修行場があり、この付近も樹木がまばらですが、遠望した時に樹木がまばらに見えるのは、米軍機哨戒所跡に降り立つ直前の場所だと思います。
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