霧石渓谷(大豊町)
2015年 10月 18日
年齢とともにますます臆病風が吹き荒れるようになり、前回はさほどでもなかったのに、この日は100mとも言われる断崖絶壁からどうしても下を覗き込むことができず、高さをお伝えできないのが残念至極。
国道32号線の高松方向
「豊永橋」手前から見上げる
朝靄の残る「岩原」地区
国道439号線
「京柱峠」へと右折分岐する
スーパーマーケットの先で
「林道谷間豊永線」へと左折する
JR豊永駅のある「東土居」地区
さすが「磐(いわ)原」への道
道端にも大きな岩
「八川」集落を通過
滝の足元に水車小屋
消防か警察の人かと警戒したら
何と右上の人影は案山子
配達員の労力を少しでも軽くと
集落が共同で建てた
世帯ごとに仕切られた新聞受け
檜皮葺の屋根は苔むしている
いたるところに道標がある
柚子畑にも案山子
やあ
見づらいが
車庫の中の向かって右
山側にも案山子
人かと思って遠慮がちに撮影
粋な夕涼み台
しっかり根付いている
「筏木」集落で急に視界が開ける
水量60トンとある
水と紙は重い
一部読めないが
道標は多いほどありがたい
四国三郎「吉野川」の流れ
ここは上へと進む
「京柱峠」へ抜けられるらしい
後で調べたら
「林道西峰三谷線」が
西峰地区の「沖」集落へと続いている
次回の林道巡りの候補に決定
絶壁の巨岩が見えて来た
ズームアップ
「赤根川橋」を渡ったところに
広い駐車場もある
素朴な筆致の貼り紙
んっ?
ご本人による訂正か?
それとも
利用者による訂正か?
古い大きな切り株
右下にキノコが生えている
いたるところにお札が祀られている
信仰深い土地ならではの光景
右下の岩で囲まれた祠に
お札がお祀りされている
土地土地で異なる藁ぐろの造り
奥山の人ならではの
実に几帳面な仕事
紫陽花の頃に是非また来たい
案内板が立っている
ここには2台ほど駐車できそう
案内板の横から見る眺め
ここからでも相当に高い
大岩へはいったん下る
畳何畳の広さであろうか
絶壁の上部は
奈路(なろ)くて広い
右前方に黒く三角に見える岩
前回はあの先端に立てたように思うが・・
指差している辺りが下の段の先端
よう行くかえ?
すみません無理です
とても行けません
実はさらに左前方の突端が
まだ少し高い
ここでも敵前逃亡
未練がましく振り返ると
せっかく来たので覗き込もうと
生来のケチな根性が
ここまでが精一杯
高さがよく伝わらない
実に残念
中央下に登って来た林道
右上の白く光る部分が
「岩原」への途中にある
「霧石橋」か?
さらに下へと
大岩を巻くように下る
どの根がどの木の根か
大岩の下には
驚きの空間が広がる
実に整然とお祀りされている
最も高い岩の真下か?
右下を流れる赤根川は
木々に囲まれ真っ暗
ナイスな遊歩道
入られんと聞くと入りたい
ここにも大岩が横たわる
白いチョウチョが飛来
対岸にも似た形の大岩が対峙
右下の暗闇が赤根川
水面からかなりの高さがある
足が竦んで覗けない
来た道を下へと下りて行く
何度見てもシブい
グッ・ジョブ!
栗は小ぶりな山栗が美味い
「頭寒足熱」冬支度は万全
これっぱあ穿かせてもろうたら
なんぼか温いろう
JR岩原駅へと下りていく途中
麓からもよく目立つ赤鉄橋
この「岩原大橋」もよく整備されている
いつ見来ても錆びというものがない
「岩原」地区から西を見渡す
トレッキングコースもあるらしい
「土阿県境の悠久の故郷」とある
「夢描田(むかいだ)会」
道案内板には
「岩原長男会」平成4年8月
とある
つい直進しそうになる交差点
「岩原長男会」平成4年8月制作の
道路案内に助けられる
この変則的な四つ角は
左手前に滑り落ちる
吉野川が間近に見え始めた
ここには
「岩原長男会」昭和59年4月制作の
カーブミラー
土讃線の小さな踏切を渡ると
んっ?犯人?
懸賞金240万円とある
しかも金額には訂正の跡も
何かが川に流されたのか?
JR土讃線「土佐岩原駅」
気合の入った陸橋
上りと下りの普通列車が
同時に停車
同時に発車
上り列車に手を振る
1両編成のワンマン列車は
ディーゼル音とともに
「大歩危小歩危」方面へ
「使用ずみのきっぷを・・」とあるが
蜘蛛の巣が張っているし
投入の痕跡もない
「大豊町地域おこし協力隊」のパンフレットでみた、「普通に渡れそうでとても怖い橋」に、いつもの道草をすることにした。
霧石渓谷の絶壁の突端には立てなかったが、橋なら大丈夫だろうと、「吉野川橋」東詰で県道262号線へと行ってみたけれども・・
何ぼ言うたちこれなら渡れるろう
下流もえいぞー
上流もえいぞー
前だけ向いて歩いているうちは
どうということはないけれども
ふと立ち止まり下を見ると
その高いこと高いこと
急に足がガクガク震え始める
この歳になってやっと知恵がついたというものか、よほどの小心な臆病者ということか、橋の中間点にも辿り着かないうちに三十六計逃げるが勝ち。
ここ「敷岩橋」でも敵前逃亡
江戸時代末期に起きた狗神憑きの民衆の大騒乱を描いた『鬼神の狂乱』を読む前に、「霧石渓谷」には一度来たことがあり、断崖絶壁の巨岩や信仰深い土地ならではの浄められた風景を思い起こしながらこの小説を読んだことであった。
通りがかった90歳だというご婦人によれば、ここに嫁がれた頃には35軒ほどの家があったが、現在は人が住んでいる家は9軒ほどになってしまったという。『鬼神の狂乱』に描かれた、江戸時代の大騒乱のこともご存知で、小説にも出てくる地名をあげられて、そこにお祀りされていますよ、と教えてくれた。
大騒乱を鎮めるために、嶺北の古刹として名高い「定福(じょうふく)寺」や「豊楽(ぶらく)寺」の住職、高知城下からは五台山竹林寺の律師、南国市の国分寺の住待たちが馳せ参じたという。