蟹越え(いの町~旧鏡村)
2015年 05月 06日
旧伊野町から、閉園した中追(なかおい)渓谷のレジャー施設跡、夜泣き石の伝説が残る「蟹越峠」、山腹に突然現れる「梅の木」集落をへて旧鏡村にいたるかつての往還道である。

河口近くでもこのエメラルド色
さすがは「仁淀ブルー」

画像右手の山の向こう側
正面の鷹羽ケ森との間を流れる
仁淀川支流の
勝賀瀬川に沿って遡上する

振り返って見る
仁淀川の河口方向

正面「鷹羽ケ森」が近づいて来た
愛媛県境「寒風山」へは
ここからさらに47.5キロ
国道194号線の区間距離は
「寒風山」が一つの目安

「中追渓谷」東入口の看板をみて
一部残る旧国道194号線へと分岐

昭和3年に架けられた
旧勝賀瀬橋は今でも現役

しばらく続く
勝賀瀬川沿いの道

地酒「瀧嵐」の高知酒造酒蔵

名水は名酒の源

橋床橋の分岐に到着
まずは中追渓谷へとレフトターン

対岸に巨岩が見え始める

見覚えのある吊り橋をくぐる

二つの支流の合流点
この谷間がかつての観光施設跡

温泉や釣り堀をはじめ
宿泊施設まである
一大レジャー基地であった

かつての渓谷への西入口
現在は福祉施設として利用されている
この道をさらに北上すると、「樫ケ峠(かしがとう)」を越えて、旧吾北村の「思地(おもいじ)」にいたる古道が残っている。
「樫ケ峠」は海抜700メートル、「蟹越峠」よりさらに100メートルも高く、車道終点までの上りさえ、「執拗な上り」と本に紹介されている。

展望台からの眺め
かすかに記憶に残る
レストランと吊り橋

この吊り橋は現在は通行禁止

中追渓谷にあった観光施設は、高度経済成長期の働きづめの人々たちのために、地域の篤志家により作られたレクリエーション施設であったと聞く。
心霊スポットとして知られる、旧土佐山田町繁藤にあった「麓宝園(ろっぽうえん)」も、地元篤志家の同じ思いで作られた遊園地であった。
旧吾川村の「中津渓谷」まで行く時間がないような日でも、この「中追渓谷」は気軽に行ける丁度の距離の紅葉の名所でもあった。
再び橋床分岐に戻り
今度は旧鏡村方面へ直進

人造施設であっても美しい

対岸から見下ろすレストラン跡
建物上の吊り橋の高さは
祖谷のかずら橋どころではない
あまりの高さに
渡れない人が多かった
それもそのはず
レストラン自体が
絶壁の上に建っている
そして吊り橋は
さらにその上空にある

たしか「夢の吊り橋」だったかと
現在は通行止めのフェンスあり

山頂に近づくほど
なぜか増える巨岩

かなり山深い

「明神」集落を通過

親切な道標に助けられながら
ぐんぐん高度を稼いでゆく
存外と勾配が早く
このあたりから
カブが喘ぎ始めた

薄暗い植林の道を抜け
やっと視界がひらけてきた

「蟹越峠」海抜約600メートル

「伊野」の「伊」だけになった道標

高知県内には、「蟹越」という地名がもう一つ、旧土佐山村菖蒲と南国市奈路との間に残っている。
山越えする蟹がその由来との説の他に、この「夜泣き石」のある「蟹越え」は、坂道に馴れた人が蟹のように歩く様子がその語源との説もある。
言われてみればこちらの「蟹越え」、「かにごえ」とは言わずに「ガニゴエ」と発音するところからしても、「ガニ又」に由来するのかもしれない。
草木が繁り良く見えないが
この岩が「夜泣き岩」

夏草が繁り
ヘビを踏みそうで
とても行く気がおこらない

中央に見える白点の周囲
グレーの部分が「夜泣き岩」
こうしてみるとやはり大きい

昔この峠を通りかかった一組の夫婦、急に産気づくも無事出産をした妻子をこの大岩の上に残し、夫は助けを求めに里に下りる。そして再び戻ってくると、哀れ母子は山犬に喰い殺されていた。
以来、夜間にこの大岩のあたりを通ると、女の人の悲しい声と、赤ん坊の泣き声が聞こえてくるという。
白骨林といえば白骨林

前回は
「太平洋みはらし小屋」へ行けたが
「ピザ梅ノ木」は休業中であった
今回は
「太平洋みはらし小屋」への道にチェーン
なかなかの眺めだったのに残念


高知市街が見えてきた

「山菜の里」手前の分岐

「中追」の案内も見える

前回はアイス・バーンだった
ヘアピングカーブ

県内いずこにも
豪雨災害の爪痕

峠はあの鞍部の右肩

ここも満開

「梅の木」集落に到着
道路左手に「八坂神社」

立派な鳥居の背中には
樹高38メートル
聳え立つ大杉

樹齢500年の樹肌

はるか上方に見える尾根
海抜約600メートルの「蟹越峠」
あんなところを越えて来たとは・・

ここ横矢もどぶろく特区か?
その名もよろし「滝のしずく」

非常に判りやすい地図
これまで林道で見た
どの地図よりも明晰

「竹奈路」集落で
「平家の滝」へと続く
的渕川沿いの道に合流

これまた満開

旧鏡村草峰地区の地すべり跡
こちら岸にはかなりの戸数の住宅がある
凄まじい雨と地鳴りだったと聞く

小樽を訪ねた時、戦前に作られた「オタモイ遊園地」の跡が残っていることを知った。「この世の楽園」と謳われ、見事な海岸美とあいまって竜宮城を彷彿させる遊園地跡であった。

