星ケ窪(2/2)【復路】(旧仁淀村)
2017年 10月 26日
緑色の深淵な渕に感激した後、この道は一体どこに繋がっているのか、行けるところまで行ってみようと走っていると、今回の「星ガ窪」への近道と思われる道標を発見した。
歩道に近い作業道のようだったのでやり過ごしさらに高度を上げて行くと、思いがけず「葉山風車」の分岐に到着。迷わずレフトターン、20基の風車が並ぶ越知町と津野町との分水嶺へと駆け上がったことであった。
おそらく緑色の点の航跡かと
途中には国道までの距離案内もあり
まず迷うことはない
随所にある道案内に従い
「星ガ窪」へと再び高度を上げる
緑色の輪っかが「星ガ窪」の草競馬跡
東端からは「田代」集落へと林道がある
南にも林道があったがこちらは行止り
№11風車の西で尾根道と合流する
早く出立せねばならぬ
平成24年に見た近道と思い込み・・
西に向かって折り返している
が、この車道もたしか1/25000地図には
途中までしかなかったと思うが・・
案内もしてくれちょりますやいか
そうですそうです
そこへ行きたいがです
石灰石の採掘前はその名の通り
山頂付近は見事な円錐形だったと聞く
頂上の三角形部分がスパッと横に
切り取られたイメージらしい
「堂林」集落はこの三差路を左に下るが
本日は右に登って「風の里公園」へ
越知町へと抜けることができるし
「聖神社」や「大タヲ山」にも行ける
自転車なら何とか行けそうな道であった
現地の再調査が必要である
「聖神社」(投入堂)と「大タヲ山」は
こちらのリンクをどうぞ
いよいよ「風の里公園」が近づいて来た
山の夕暮れは早い
急がねば
大いに惹かれるものがある
直進すれば「白石川」集落
あれからすでに5年とは・・
と書かれている
ほぼ真ん中に取り付くことになる
上流の支流ごとの源流を
四万十源流と呼んでいるとも聞くが・・
土佐は海国でもあるが
とてつもない山国でもある
右奥が「石鎚連山」
「筒上山」(右)のドーム
さらにその右(東)に「手箱山」
ここへは寄っておかねば
ブーンという音が間近で聞ける
この塔石
「中津明神山」の方向を向いている
小枝の真上あたりにある
もしかすると「中津明神山」山頂には
「石鎚神社」があって
その遥拝所かもしれない
人造の白いザレは一層痛々しい
どこまでが海か
太平洋が綺麗に見えていたが
海の青さを上手く写せない
№1風車を後に
東前方に「黒森」を見ながら下山
津野町側から稜線に辿り着き、「風の里公園」へと大きく左折するところを右折、舗装路を東へと進んだ先にあるのが秀峰「黒森」(984m)。
地図上では無名峰が多い「北山連山」の中で、地元のかたが山名として認識する唯一の山であるとのことである。
本日は通行止めになっていたため
「黒川」集落へと下山する
林道は岩塊をぐるりと右に巻いている
初めて「黒川ルート」を走ったが
思わぬ眼福に預かった
「北山」と「一斗俵」の文字を発見
高知市民が「北山」と聞くと、高知市の北側に連なる山並みを連想するが、「不入山」(いらずやま)から東に派生する「不入山脈」のうち、「鶴松森(かくしょうもり)から「蟠蛇森」(ばんだがもり)までの旧葉山村の区域を「北山」と呼ぶという。
また、「一斗俵」と聞くと、「四万十川」の最古の沈下橋、「一斗俵沈下橋」を連想するが、高知県内で初めて同じ地名を目にした。
長い石段が麓から続いている
旧仁淀村ではかつて草競馬が盛大に行われ、「星ガ窪」と「松尾」の2か所に競馬場の跡が残っていること、そのうち「松尾」へはハナモモの桃源郷「上久喜」を経由して行くことができること、さらに「松尾」には「明神山」という由緒ある山があることを知った。
「星ガ窪」と「堂林」の近道の道標を見た3年前の記憶もじわじわと甦り、「上久喜」を経由し「松尾」と「星ガ窪」へ行き、帰路は「堂林」から「桐見川」沿いに越知町から高知市へ、あるいは時間があれば津野町の「風の里公園」を抜けて高知市へと、気分はまるで遠足前の小学生。
が、そう簡単には問屋が卸さない。転ばぬ先の杖、「星ガ窪」から「堂林」の間が自信が無かったので、周辺に詳しい先輩に道を聞くと、予定ルートの途中2か所が通行止めとなっていることを教えていただいた。知らずに出掛けていたら、時間を大幅にロスし、予定した行程の半分も行けないところであった。
奥山の道は、1/25000地図にさえ載っていないこともしはしば。何といっても現地のかたの情報が一番、先輩に感謝しながら高知市へ帰り着いた時にはすでに日没。のべ8時間のカブでのロデオ旅、さすがに少しばかり腰にダメージが・・