隕石が落ちた跡と言われる「星の池」が中央にあり、キャンプ場としても利用されている「星ガ窪」は、昭和34年まで草競馬のコースがあり、1万人もの観客で賑わっていたという。
旧仁淀村には、この「星ガ窪」の他にもう一つ草競馬場跡があり、それは何とあの桃源郷「上久喜の花桃」の上部、「松尾」集落にあるという。
そして「松尾」集落の背後「明神山」には、旧仁淀村の礎を築いた別府経基の居城「別府山城」が建っていたという、行っておかねば、見ておかねば。
国道33号線を北上
「旧池川町大崎」で「仁淀川」対岸へ
この日は「大蕨~松尾」間が通行止め
花桃の桃源郷「上久喜」を経由できず残念
高知県最古の沈下橋「久喜橋」を渡り
国道33号線へ戻る
国道33号線から酷道439号線に入る
左上が「松尾」集落になる
「仁淀中学校」まで南下し左折
「松尾」集落へと高度を上げて行く
「旧池川町大崎」で「上久喜」方面へ分岐
「上久喜の花桃」はこちらのリンクをどうぞ
吊橋を渡り突き当りを右折
「松尾」手前で山手崩落し復旧未定とある
高知県最古の沈下橋「久喜橋」
風雪ならぬ落石に耐えて来た傷跡
右下に見える道路を手前下に引き返す
「久喜橋」が見えて来た
左上が国道33号線
独特のフォルムの橋脚
振り返り見る「久喜橋」
これまた独特の地表
国鉄バスで松山へ出張していた若い頃
車窓から良く見た銀杏の木
やや樹勢に翳りが・・
無理もないあれから三十年
この赤鉄橋は対岸に渡れるだけで
「旧仁淀村」方面へは行けないが
ついつい渡ってしまいやすい
「旧仁淀村」は1.9km先を左折とある
ここで「旧仁淀村」方面へと分岐
棚田のイベント広告がある
「森」地区は「旧仁淀村」の中心地
「大森沈下橋」(手前下流側)と「大森橋」
対岸の国道33号線からの眺めは
記憶に残っているかたも多いはず
茶業試験場の茶畑には
お茶の木で「茶業試験場」の
文字が書かれる
これから向かう「長者川」沿いの遠望
酷道439号線を南下する
左手山上の鞍部が「松尾」集落
その右が「明神山」(610m)
「仁淀川中学」を右に見て左折
「長者川」を渡る
突き当りの「五所神社」の右へ進む
「松尾~大蕨」集落間が崩壊とある
渋い道標に従い
「中宮・谷山」方向へ
右の朽ち木もまた道標
「宮首」と書かれているはず
ほんの道端に立派な滝
増水時にだけ出現する滝か?
「谷山大師堂」に到着
これは見てみたい
「佐婆為神社」の「一本木の火回し」
「谷山大師堂」で右折南進しても
酷道439号線に降り着くらしい
1/25000地図にはなかったが・・
「谷山大師堂」背後の三差路
覚えておこう!
「谷山」から登って来て
左が「松尾」で右が「木半夏」
「松尾」バス停に到着
「長者」地区の方向を見ると
遠景の稜線が「風の里公園」で
とても見ずらいが
20基の風車が並んでいる
アンテナが林立している
「松尾」集落の眼下は「森」地区
ここに草競馬場があったというが
ここまではかなりの距離と高度
昔の人は偉いとしか言いようがない
数軒の民家があったが
お住いの様子はなかった
目指す「明神山」の登山口は石灯篭
「宇賀神社」前の山道を
四国電力の鉄塔標識に従って進むとある
燈明台部分が鉄枠で造作されている
四国電力の鉄塔も見えて来た
すぐに「宇賀神社」の鳥居に来たが
境内にあったという草競馬場跡が見つからぬ
ひとたび案内板の所まで戻ると
草競馬場跡はこの右上にあるらしい
千手観音堂の前がホームストレッチなら
さしずめ第2コーナーあたり
ホームストレッチが東へ延びる
お見事!
「千手観音堂」は霊験あらたか
馬場の中央に記念碑
「大正六年春」と刻まれている
ホームストレッチから第1コーナーへ
第1コーナーの西北(画像やや左)に
「中津明神山」(1541m)
周辺で「明神山」のことを聞くと
現地の人も先ずアメダスのある
「中津明神山」を教えてくれる
鉄塔の左が「明神山」だが
「星ガ窪」と「風の里公園」への
残り時間が逼迫してきたため
本日の登頂は断念
場所は心得たのでまた来よう!
「佐婆為神社」まで降りてきた
ここからさっき登って来た道を
酷道439号線に下らずとも
道なりに直進南下したら
「木半夏」集落を経由して
「長者」地区まで抜けられそう
そそられる林道がそこかしこに
右下へは「普通林道中宮線」が分岐
「木半夏」集落を通過する
「木半夏」(モクハンゲ)とは
「ナツグミ」とある
してみれば橋名の
「しゃせぶはし」の「しゃせぶ」とは
子供の頃に「グイミ」と呼んでいた
赤い木の実と同じであろうか?
「木半夏」の実が多く生る土地らしい
そういえば当時の周囲のお年寄りは
「グイミ」とは言わずに単に「ぐみ」
あるいは「しゃせぶ」と言っていたような・・
眼下に酷道439号線と
「長者」地区が見えて来る
「上久喜の花桃」のシーズンには
帰路は狭道離合による渋滞を避けるため
この道への迂回をお願いしているらしい
「長者」地区へ酷道439号線から左折分岐
「星ガ窪」への最初の道案内
人造物さえ美しい水の流れ
「長者」地区は棚田でできている
「だんだんの里」の「だんだん」は
「段々」の「だんだん」
出雲地方の方言の
「だんだん」(ありがとう)と
かけているのかも
「長者の大銀杏」
この県道18号線に入りがちだが
県道18号線に合流したら一旦は西に直進
1つ先の分岐で左上へと登り
白い建物の先で左に大きくUカーブ
随所に道案内あり
今年は柿のなり年のもよう
日本の原風景「稲木」
かなり高くなって来た
はるか北に「石鎚連峰」
広い三差路では右上へ
「鳥形山」が見えて来た
ゴー・ツー・ストレート
ノット・レフトターン
越知町の「町道下ノ谷堂林線」
「下の谷~堂林」間が通行止めのため
迂回路としても利用されている
「普通林道星ガ窪」線の起点
山上に出現する広大な広場に到着
大昔に隕石が落ちた窪みという伝承あり
園内はとても良く手入れされている
「星ガ窪」からの北の遠望
右奥のドームが「筒上山」で
そこから右に「手箱山」への稜線
ほぼ中央の最奥部に「石鎚山」
「星ガ窪」からの南の遠望
稜線に「風の里公園」の20基の風車
帰りはあの稜線を東西に縦断する
「銀号」のエンジンを冷ます
世界のホンダ・スーパーカブも
エンジンが焼き付いたらアウト!
言われてみれば
巨大な隕石が斜めに落下激突し
地上に楕円形の窪みを付けたと
想像がつく
「星の池」湖畔の「星の家」
「だれでも使えます」とある
隕石が先ず着地した地点か?
ここ「星ガ窪」も草競馬場跡
さしずめホームストレッチ
第4コーナー(東)あたりから
「田代」集落への林道がある
第3コーナーから西を見る
バックストレッチ
「星の池」
第2コーナーから東を見る
東屋も整備されている
「朝露の丘」からの眺め
たしかに競馬場の形をしている
さて段々と陽が西に傾いて来た
「風の里公園」へ急ごう!
日が暮れる
ここから見るとさほど
痛々しくない「鳥形山」
昭和30年頃、「星ガ窪」の草競馬は大人気で、出場場も100頭、当時西日本一の規模を誇ったとのこと。山上に忽然と現れる広大な馬場には、周辺の村々から1万人の老若男女が集ったという。
明治32年に造られた草競馬場では、同年旧暦3月10日に草競馬が盛大に行われて以降、毎年旧暦の3月10日と10月10日の年2回草競馬が催されていたとの記録がある。
昭和60年代のアウトドア・ブームの頃、多くのガイドブックで目にしていた「星ガ窪」であった。何と30年を経て初めて来てみたが、類似の名所の多くが最近疲弊荒廃している中にあって、この地には実に凛とした雰囲気が漂っていた。