平成28年2月、越知町(おちちょう)を代表する秀峰「横倉山」から下山した後、SNSのお師匠さんが、北東に見えていた「五在所山」に登っていたことを知った。
この「五在所山」は、越知町のもう一つの秀峰「黒森山」の東に鎮座し、桑藪(くやぶ)から約1時間ほどで登頂でき、北に石鎚山系のパノラマを望める隠れスポットである。
高知市の西にある「いの町」、「仁淀ブルー」で知られる「仁淀川」にかかる「仁淀川橋」で、国道33号線と国道194号線は分岐する。
本日のルートは、国道33号線から「越知町」へ向かい、「横倉」で県道18号線に右折東進、「五在所山」に登頂後、国道194号線を「仁淀川」に沿って下り、「仁淀川橋」に戻る時計回りのルート。
「仁淀川橋」東詰
往きはここを左折し鉄橋を渡り
帰りは右奥から戻って来る
「佐川町」の「霧生関隧道」の手前に
いつの間にか広大な広場が出来ている
道路情勢が脆弱な高知県では、主要国道が寸断されるとたちまち「陸の孤島」になる。山間部はもとより、最近では幹線道路沿いにも多くのヘリポートが建設されるようになった。
本日の山行のきっかけは、「越知町」の山間部「桑藪(くやぶ)」地区で、地元住民の皆さんが手さぐりで造り上げたヘリポートの記事を目にしたことであったが、偶然にも途中の主要国道沿いの「霧生関」でも、ヘリポートを目にすることとなった。
「佐川(さかわ)ヘリポート」
「地酒」があるなら「地乳」も
「佐川町」と「越知町」の境界
旧道は前方の「赤土峠」を越えていた
幕末の佐川志士脱藩の際の集合場所
「赤土峠」は現在
「四国のみち」として残っている
「越知町」に入ると右奥に
「黒森山」から「五在所山」へ続く稜線
「越知町」のメイン・ストリートを西進
正面に迫ってくるのは「横倉山」の峰々
安徳天皇の伝説が残る「横倉山」
県道18号線「横倉橋」から上流を見る
国道33号線は愛媛県松山市へと
仁淀川に沿って遡上する
「横倉橋」「横畠橋」「鎌井田大橋」
「仁淀川」はこの3つの橋の間で
S字状に大きく蛇行する
「横倉橋」の上流右岸に
通るたび気になる尖がりの山
「今成トンネル」を抜ける
「堂ノ岡」は「旧松山街道」の入口
天空に広がる異空間
「虹色の里横畠」への入口の先
「横畠橋」南詰は広場になっている
観光案内板で「桑藪」は
「広望の里」と紹介されている
「横畠橋」から上流を見る
右中央の山塊が「黒森山」
奥が下流だが「仁淀川」はその先で右へと
大きなヘアピンカーブを描いている
お気に入りのビュー・スポット
いつの年だったか
大規模な土砂崩れの跡
「横畠橋」はかなり高い
「浅尾(あそ)トンネル」を抜けると
再び「仁淀川」を渡ることになる
今度は左手奥が川上となり
川は左に大きくヘアピンカーブを描き
先ほどの「横畠橋」に至ることになる
「浅尾トンネル」を抜け
「鎌井田大橋」を渡るとすぐに
「あじさい街道」へと左折する
「浅尾沈下橋」が見えてきた
せっかくなので対岸へと渡っておこう
川原に舫われた川舟
「鎌井田」集落の西側の谷を
ひたすら北登すると「五在所山」
「桑藪」への道案内
「天神橋」を渡り
「文化橋」を渡り
どんどん高度を上げて行く
この位置が意外と見やすいカーブミラー
「日の浦」や「清助」集落との分岐
「あじさい街道」はここを左
「桑藪」へはここを右
「京仲」とはまた粋な地名
巨岩の下を走る
谷風が涼しい
シブい切り通し
石清水とよくマッチしている
枝道が切り通しの中で分岐している
これまで見た切り通しでは
きわめて秀逸な造りとなっている
普通は右側に標記されるが
橋名は読み取れなかった
もしかして左側かもしれないが
標柱は倒壊してしまっている
名残りの紫陽花が一輪
ここで「五在所山」へのルートは分かれる
迷わず取り舵一杯!
いつか歩きますので
今日はカブで行かせてもらいます
とても整然とした道路工事現場
この辺り一帯はヤマユリが多い
「桑藪(くやぶ)ヘリポート」に到着
途中にあったはずの
「桐ノ峠(きりのとう)」には気付かなかった
峠名ではなく集落名かもしれない
「越知町」がはるか眼下に見えている
ヘリポートは海抜691メートル
前方の三角形が「五在所山」
まだあんなに高くて遠い
それでは標高差200メートルを
一気に駆け上がるとしよう
テイク・オフ!
道路を跨いで落ちている倒木は
折れたというよりは割れたという印象
なかなか良(え)いですやいか
少しは荒れてないと面白くない
ところどころ未舗装が混じる
林道は山頂直下で行き止まり
まるで魔法使いの杖のよう
杖として拝借しようとしたが
やや気が引けた
「五在所神社」への
参道というか山道というか・・
一瞬クマに見えて怯む
小心者は手元が震え完全なピンボケ
情けないこと限りなし
鳥居の先に本殿
まだ林道が無かった頃には
海抜976メートルの山上に
麓から資材を担ぎ上げるだけでも
さぞや難渋したことであろう
昔の人は偉い、脱帽
向かって左の小さな祠から眺望所へ
踏み跡は十分に残っている
山頂に到着
SONIAの案内板に安堵する
スマホには海抜975mと表示されている
山頂976mの三角点はいずこ?
ピンクの線が走ってきた林道で、登山道は山頂から「桑藪」へと下る点線と思われる。
山頂直下で林道と登山道と交差する地点は、やや広い広場となっている場所で、先輩諸氏のサイトで、登山道が分断されて判りづらい、と指摘されている場所と思われる。
石鎚山系の眺望スポットだけに
山名表示板が設置されている
し、しかしながら、
「石鎚山系」には夏山独特のガスが充満
眼前の山なみは上等に見えているが・・
特に「石鎚山」から「瓶ケ森」にかけて
ガスガスの状態
積雪のある頃の眺めは
さぞ宜しかろうと思われる
東の「平家平」や「冠山」は
肉眼でも山座を特定しづらい
北の「伊予冨士」「寒風山」は
かろうじて見て取れる
一瞬の晴れ間もこの程度
最近良く似たような山に登ったことがあったような、たしか山頂から北の峰々を見渡せる山だったが、と、しばらく考えていてやっと思いだした。この山頂の雰囲気は、旧香北町の「御在所山」に似ている。似たような山頂の広場から、土佐と阿波の分水嶺、「土阿辺境」のパノラマが広がっていたことであった。
越知町の「五在所山」は、近隣の「鎌井田」「片岡」「十田」「新別」「下八川」の5つの在所の信仰を集めたことに由来する、という。
四万十町の「五在所ノ峰」もまた、5つの在所に山名の由来がある。旧香北町の「御在所山」は「御」であるが、「ございしょ」という響きにはどこか共通の響きが感じられる。
山頂はちょうど手ごろな広場
山頂の守護神のような古木
北東に、今年3月に登った「小式ケ台」が見えている。海抜は「五在所山」とほとんど変わらないが、低く見えるのが不思議。
「小式ケ台」からも、今いる「五在所山」が見えていたはずだが、よほど意識して登らないと、山座は記憶に残らない。
「小式ケ台」の南西山麓
さっきからブンブンとうるさいアブ
「平家平」を目指しているが・・
「冠山」へ縦走することなく下山
♪古いコートは捨てて~
もし、どうされましたぞ?
本殿の背後に戻る
木壁なのに風雪によく耐えている
それもそのはず総欅造りとのこと
霊験あらたか
鳥居の横に注連縄
何らかの結界であろうか
蔓が複雑に絡みつく
右正面が麓からの登山道
左へ下ると林道終点広場
さあて往(い)ぬるとするか
(=さて帰るとするか)
この広場が林道と登山道の交差点
登山道は左下から登って来て
正面の木立の中を山頂へと続く
この木もあちこちでよく出会う
根元から数本の木が枝分かれ
中央が「五在所山」山頂
かなり降りてきた
林道はほぼ全線何らかの舗装路
荒れている部分もこの程度である
赤松や栂も多く植生が豊か
白骨輪もいたるところにある
「桑藪ヘリポート」まで戻ってきた
林道は、「五在所山」の西側を巻いている。かなり見づらいがピンクの線上の赤い矢印(南下から北上に転じる辺り)がヘリポートで、西には「黒森山」があるのだが、残念ながら遠望することはできない。
左下(南西)の「横倉山」からは「五在所山」の山容は見渡せるが、「五在所山」山頂付近は南西方向への視界が無く、残念ながら山頂間同士の視界は無い。
「五在所山」の北には「酷道439号線」
これは美味しそうにない
グッド!
白い花も緑の葉に助けられて
鎌と輪に、ひらがなの「ぬ」で、「鎌輪奴」(かまわぬ)、佐川町の老舗酒蔵の銘柄でも見たことがある。
時は元禄、「水火も厭わず(かまわず)、身を捨てて弱い者を助ける」心意気を持った人が好んで着た衣類の模様、という。
作業小屋の入口に「鎌と輪」
登って来る時には
作業員のかた数人がこのロープに体を固定
さながらレインジャー部隊の様子で
最上部で高所作業をしていた
実に整理整頓が行き届いた工事現場
完成するとこのようになる
林道と登山道との分岐まで下山
せめて登山道の入口だけは見ておこう
車の廻し場に登山案内図
かなり年季が入っている
先ほどの車の廻し場を過ぎ
行き止まりまで登り詰める
終点の車の廻し場の奥に登山道入口
ここもまた信仰深い土地柄
山里でよく見かける花
何度見ても見飽きない切り通し
岩肌にびっしりと緑が寄り添う
この造作はシブ過ぎる
石塔もまたナイス!
再び巨岩の下をくぐる
県道18号線に戻り
県道をくぐって「片岡沈下橋」へ
「仁淀川」の南岸へ渡ってみる
沈下橋から上流を見る
「片岡」集落(「仁淀川」北岸)左奥が
方角的には「五在所山」にあたる
これまた相当に気合が入った道しるべ
ほどなく国道194号線
「出来地」の三差路
「出来地」の三差路を右折し
道なりに下って行くと「名越屋沈下橋」
「仁淀川」の最下流にある沈下橋
4トン車は通れない
川下(右)側に数か所の待避所があるが
橋の上での離合はせずに
先に橋に入った車がある場合は
対岸で待つのが暗黙のローカル・ルール
増水時に渡っていると
水の流れと橋の直線との間に錯覚が生じ
川下側に転落する事故もあったという
沈下橋の途中にある待避所はこの狭さ
車同士で離合する気にはちょっとなれない
羽を休める「銀号」
林道巡回の揺れにより
荷台のお茶は泡だらけ
「仁淀川橋」は人気の川遊びスポット
まもなく「仁淀川橋」東詰
時計回りのルートの終点となる
この日、林道を走行中、突然眼前をイノシシの親子が横切った。左手の山から林道へ転げ落ちるように崖を降りてきて、右手の山裾の崖へと降りていく途中であったと見える。
カブの目前2mほどだったので、衝突は避けることができたが、ウリ坊のほうはまだ山道に不慣れと見えて、林道に着地した時に、ブヒッという悲鳴とともに転倒し危うく轢く寸前であった。
その直後だっただけに、「五在所神社」の手前で杉の風倒木の根っこを見た時、思わず熊と思い込んでしまった。ことほどさように意気地無しの小心者、蛇を踏むのが嫌だからと夏山に入らないようなひ弱者には、とても山の神様は微笑んではくれない。
楽しみにしていた石鎚の峰々の眺望は、ガスにさえぎられ残念であった。が、今春登ったばかりの「小式ケ台」を、眼前に見られたのは実に良かった、そう思うことにしよう。