キレンゲショウマという花は、山に登る人は見聞きする機会が多いが、一般のかたの多くは、宮尾登美子さんの小説『天涯の花』で初めて知ったのではないかと思う。
深山の湿った木陰にまれに見られるユキノシタ科の多年草で、7~8月に,茎の先に美しい円錐状の黄色い花が咲く。
日本三大カルストの一つ、「四国カルスト高原」の南麓に広がる「梼原町」の「百一草園」に、キレンゲショウマを訪ねてみた。
花と蕾はこんな感じ
「百一草園」のパンフレット
園内にはさまざまな植栽が広がっている
本日は平成29年7月16日、キレンゲショウマはまだほとんどが蕾だったので、平成25年8月11日の画像をどうぞ。
これは「ヤマゴボウ」
国道197号線遊山の際のベースキャンプ「自由軒葉山店」の、定番セットメニュー「ラーメンチャーハン」(ラーメン+半チャーハン)、通称「半チャン」で腹拵え。
本日は、味噌ラーメンでオーダー。
国道197号線を、愛媛県大洲市方向へと向かう。作家司馬遼太郎翁が「梼原街道」と呼んだ往還は、須崎市~津野町~梼原町の付近は「津野山街道」とも呼ばれている。「宮谷」集落入口にある「大わらじ」
スイカの良心市
スイカにもいろいろな種類がある
かつてこの集落に疫痢が流行った時
魔除けとして作られたという
地元で「金剛バッコ」と呼ばれる大わらじ
「梼原町」は雲の上の町
「梼原町」に入ると「太郎川公園」には
「雲の上のホテル」と
「雲の上のレストラン」
こちらは「雲の上の市場」
「雲の上の温泉」と
「雲の上のプール」に
「ライダーズイン雲の上」
この交通標語の作者は何と高知県人!
「梼原町」の中心街
高知の山間部にある町村では
「馬路村」と並ぶ双璧
「東向(こちむき)」集落への分岐
このあたりから道案内が現れる
「東向」には興味深い逸話が残る
「四万川川」(しまがわがわ)に沿って
坂本龍馬脱藩の道を遡上して行く
(注)「四万十川」ではなく「四万川川」
その名も「だっぱん屋」
カフェ&パン「D'aPan屋」の案内も見える
「六丁」集落で右折
「本モ谷川」を北へと遡上
「龍馬脱藩の道」もここを右折する
「加藤清正」の伝説が残る
信仰深い土地柄
ミニ八十八か所が随所にある
「四万川東小学校」跡
校門跡には
石塔に扉付きで埋め込まれた時計
「昭和3年11月御大典」と刻まれている
小学校跡の右手に「三嶋神社」
周辺には見所がいっぱい
「百一草園」のある「東川」へは
神社前の橋を右折するが
「三嶋神社」は見ておこう
なかなか立派な社殿
伊予からの大軍攻撃の際に
伊予三嶋大明神に祈願
見事勝利を得たのが縁起
鳥居の扁額も荘厳
なかなか入念な造作
木像建築は風通しの良さが重要
神楽が奉納されるらしい
見事な彫刻が施されている
青地の白抜きは初めて見た
いいね!
小さな橋を斜め右に渡ると
電柱に「200m先右折」の案内
ここにもミニ八十八か所
最後にこの三差路を右折
山の人々の仕事はいつも丁寧
ほどなくゲストハウスに到着
その名も「咲くまで待とう館」
福寿草も見られるらしい
よくお見かけしますが・・
ゲストハウスは山小屋風
昼寝をさせてもらいたい蹴上がり
「キレンゲショウマ」は、黄色い「レンゲショウマ」とばかり思っていたが、その発見から命名に至るまでには、深い事情があったらしい。
矢田部博士の命名に対し、植物学の巨星、かの牧野富太郎翁が強く非難したと書かれている。
まだ見頃ではなかったためか、先客はない様子。前回はたしか入園料を支払ったように思い、「百一草園」入園の際、隣接するログハウスにおられたご夫婦に声をかけてみた。
奥におられたので自信はないが、垣間見た面差しからすると、この男性が草園のオーナーと思われる。
それでは園内の最上部
第1駐車場から入園
草園はかなり広い
早速キレンゲショウマのお出迎え
たしかに「虎の尾」に見える
まだほとんどが蕾
緑に黄色のコントラスト
あなたがヤマゴボウさんでしたか
たしかこの小径には「カタクリ」の名が
「ヤマシャクヤク」であろうか?
ちっとも草花の名前が判らない
見覚えのある道標
数輪が開花している
「実が生っています」とある
クロイチゴはバラ科
「てまり咲き」「八重咲き」「白花」「緑花」
「クサアジサイ」には咲き方があるらしい
奥に分け入りたいが蛇を踏みそうで・・
「トチバニンジン」の「トチバ」は
「栃葉」であろうか?
葉の形がトチの木に似ているような・・
路傍の苗床
発見者の渡辺協氏に由来する「ワタナベソウ」
これは「ワタナベソウ」ではなさそう
再び「キレンマショウゲ」群
花はうつむきがちに咲く
作業道の上段と下段に群生
こちらは上段
初めてお目にかかります
「斑入リオカトラノオ」
葉っぱに斑があるからか?
第1駐車場の「白花姫平江帯」
最上部の第1駐車場の途中には
麓からいくつかの駐車場がある
どこに咲いておいでますぞ?
な、なるほど
このあたりが福寿草エリアか?
ゲストハウスを後にする
「茶や谷」の茶堂へ寄り道
「梼原町」には現在13の茶堂が残っている
茶堂には木像や石像が安置され、かつて津野山郷を治めた津野氏の霊を慰めるとともに、行路の人々に茶菓の接待が輪番制で行われていた。丁重にお祀りされている
茶堂だけに茶卓もある
左奥の壁には
輪番の接待役の名前が
細かく板書されている
脱藩の道は
「韮ケ峠」を越えて
伊予の国へと続く
「耕して天に至る」
この地は棚田でも良く知られている
先ずは「野越トンネル」手前を左折
「神在居(かんざいこ)」の「千枚田」へ
展望所が設けられている
司馬遼太郎翁が絶賛したという
「神在居」の千枚田
国道のトンネルの上が
先ほどの展望所
巨大な杉の根元だけが見えている
小さな鎮守の森に向かう
大きな時化(台風)が来ませんように
釈迦堂の傍らに
「折れ大杉」と
「千枚田オーナー制度」発足の記念植樹
古株の上端から垂れた杉が
現在も活きているという
今年初めて見るアマガエル
枯杉の根元にミニ八十八か所
黄緑色に良く映える黄色
「津野町」にあるもう1つの棚田
棚田の里「貝ノ川」集落へと左折
「貝ノ川」は「オオタヲ山」の山麓にある
随所に道標があり迷うことはない
ここを左手前に大きく切り返し
展望スポットへとひたすら登攀
登り詰めた所が
「貝ノ川」の棚田の展望スポット
キャンドル・イベントが催される
これまたお見事!
キレンゲショウマをメインに訪ねるつもりが、いつもの道草癖のために、茶堂や棚田につい寄り道。
道草の先々で新情報を発見するため、次の訪問地に事欠くことはないが、年齢とともに最近どうも行動力が衰退してきたように感じ始めてきた。
相棒『銀号』は、10年を経てなお健康そのもので、軽やかなエンジン音をたてている。メタボな騎手も、もう少しの間、健康で遊山を続けたいと願っている。