仏ケ峠(いの町)
2015年 05月 06日
紙の町「いの町」に和紙の製法を伝えた新之丞が、非業の最期を遂げたという仏ケ峠。
「いのの大黒様」として知られる
椙本神社を過ぎ
仁淀川に沿って遡上する
国道33号線の鉄橋の手前で
国道194号線へ分岐し
道路標識の先で
クリーニング店と
コンビニの間の道を右折
さわって確かめたわけではないが
この道案内の額縁には
石が使われていた気がする
橋の手前に入口が残る
かつての古道「蔭坂」
車道は下の道を直進
アスファルトの縦縞は
スピード出し過ぎの対策ではなく
特に冬期の滑り止め対策
本日のルートは反時計回り
横藪の三叉路分岐に到着
この後も随所に
親切な案内板が設置されている
長宗我部元親の妹で
波川城主波川玄蕃の妻
養甫尼が晩年移り住んだという
横藪に残る「うば屋敷跡」
養甫尼はツツジをこよなく愛し
屋敷周辺には
県下最大のツツジがあるという
図柄も地味な蝶だったが
おとなしくひかえめで
なかなか羽を広げてくれない
もう一人の登場人物
長宗我部元親に滅ぼされた
安芸国虎の二男
安芸三郎佐衛門家友の
墓所への入口
「成山峠(仏ケ峠)」手前のツツジ
たしか以前はここに
道路を跨ぐ歩道橋が・・
さっきの掘り切りの先から
まずは「成山和紙の里公園」へ
「仁淀ブルー」の仁淀川が
眼下で蛇行している
残念ながら
本日お天気下り坂
春霞というよりは・・
聞えてくるのは
土讃線の鉄橋を渡る列車の
ディーゼル音と
ホトトギスの鳴き声のみ
手書きの俯瞰図
なかなかの力作
「ハマボウ」の名札あり
「浜ゴボウ」の仲間なら美味しいのに
残念
「うばが森」へと続く「養甫の径」
これは何の線であろう?
よもや中央線がズレたのでは・・
道路の右には「白花栴檀」
ここが旧道の仏ケ峠
古道は右下へと続いている
ただでさえヘビは苦手なのに
ハメはいかんろう、ハメは
そして主人公の
伊予国日向谷村出身の新之丞
「紙業界之恩人新之丞君碑」
碑の足元には
二体の地蔵
碑のそばの説明書によれば
土佐に七色の紙の製法を伝えた伊予国日向村の修行僧新之丞は、慶長初年(1596年)の頃、遍路の途中にここ成山村で、突然の病のため行き倒れた。
この地に暮していた養甫尼(長宗我部元親の妹)と安芸三郎左衛門家友(安芸国虎の第二子)に助けられた新之丞は、病が快癒したお礼に和紙の製法を教え、その後三人は協力して七色の和紙を漉いた。
やがて数年がたち、新之丞が故郷の伊予国へと帰国する日、他国にこの技術が漏れるのを恐れた三郎左衛門は、見送りに来ていた仏ケ峠で新之丞を背後から斬り付け斬殺したという。
以前あった木製の橋の東詰め
対岸には橋脚の跡が残っている
気になるお堂は「村次地蔵堂」
お堂の中には
五体の地蔵と
立派な御神体
「活性化の会」による木札
札書きによれば、昔この地に村次という眉目に秀でた優しい若者がいた。そして、村次をわが命と慕う、須波、お佐意、お純という仲良し三人組がいた。
村次と三人の娘は、この世では結ばれないことをはかなみ、成山天神様の境内で心中を図る。
村次は三人の娘を次々と斬り、自らは切腹を図ったが死にきれず、実家に兄を訪ねて留めを刺してくれるようにと頼む。
村次の兄は、ここで留めを刺したらあの三人の娘たちに義理が立たぬと、よろめく村次を境内まで坂道を押し上げ、すでに境内で果てていた三人の娘と村次の手と手を取り合わせ、仲良く行けと言いながら村次に留めを刺したという。
峠に一瞬の晴れ間が
もう一度仁淀川をみながら
「神谷(こうのたに)」方面へと下山開始
イノシシ捕獲の罠
ずいぶんと小(こ)んまいが
ウリ坊用の檻ですかの?
いたるところに
親切な道標あり
「土佐七色の里」へ到着
「はだしの小径」には
足ツボ刺激の設備あり
看板には東京銀座
∫HI∫EIDOのロゴ
モノは試し
裸足になって踏んでみたが
日頃の不摂生がたたり
痛いのなんの
数秒さえ我慢できぬ
初めて見る修復工法
山肌に塗ったセメントに
石をモザイク状に埋め込んでいる
最近まで学校があったのか
前田橋の畔のプール
この半分の幅でいい
川から水を引いた
プールを持つことが夢
シャワーも完備
あれに見えるは
近沢製紙の社屋では
国道194号線に復帰
仏ケ峠に行くだけなら
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村次と三人の娘の話は実話と聞き驚いたが、村次の兄の情け深い仕儀にすっかり脱帽、四人はきっと成仏したに違いない。こんな話を聞くと、安芸三郎佐衛門家友は新之丞を斬ったということにして、実はこっそりと逃がしていたのではないかと想像さえしてしまう。
四国遍路で南予(愛媛県南西部)へと向かっていた国道197号線、愛媛県北宇和郡鬼北町日吉の日向谷(ひゅうがい)で、新之丞の碑を偶然見かけた。その日は日帰りで数か寺を廻らねばならず通り過ぎたが、同じ四国遍路の途中だったという縁もある、近いうちにカブで遠出をしてみようと思っている。
【土佐七色紙(とさなないろがみ)】
「コトバンク」によれば、柿色・黄・紫・桃色・萌黄(薄緑)・浅黄(薄青)・青の七色に染め上げた土佐和紙で、徳川幕府にも献上された特産品であったが、現代にはその製法が伝わっていない、とのことである。